丸山健二「千日の瑠璃 終結2」二月十日を読む
ー箒と箒売りの充足感に幸せとは?と思うー
二月十日は「私は箒だ」で始まる。
行商の男がまほろ町をまわったにもかかわらず、売れ残ってしまった箒が物語る。
以下引用文。箒売りの行商が丘の家の世一の家を見て「何かある」と感じて登り始める場面。箒の行商人という今ではあり得ない職業からもたらされるイメージが、仙人めいた千里眼的行動とよく合っている感じがする。
ただ気づいただけではなく
そこにはきっと何かが在る
ほかの家には絶対ない何かが在ると直感して
心のどこかが激しく揺さぶられ
すぐさま出かけてみようと思い立った。
(丸山健二「千日の瑠璃 終結2」131頁)
以下引用文。世一の家にたどり着いたものの、いるのはオオルリだけ、あとは誰もいない。行商人は「お前をこの家にくれてやるからな」と箒を玄関の下駄箱の横に置いて帰る。
ただ、それだけの行為なのに、箒も、行商人も満ち足りてしまう……その姿に「幸せとは?」と思わず考えてしまった。
使ってもらってこその私であるのだから
願ってもないことで
元より異存などあろうはずもなく、
雪に足を取られながら丘を下って行く男の後ろ姿が
いつになく幸福の色に満ちあふれ
夕日に染まったその背中には見るべき価値が感じられた。
(丸山健二「千日の瑠璃 終結2」133頁)