さりはま書房徒然日誌2024年5月29日(水)

丸山健二「千日の瑠璃 終結2」二月八日を読む

ー覗き見の効果ー

二月八日は「私は節穴だ」と、路地と歯科医の家を分かつ塀の節穴が語る。「截然と」(セツゼン)(意味は「区別のはっきりしているさま」)という見かけない言葉が、路地と歯科医の家の違いを強く主張しているように響いてくる。

節穴から歯科医の同級生が覗き込み、多少嫉妬混じりの小さな嫌がらせをする。
次に世一が覗き込むと、歯科医の息子の進路をめぐる家庭内騒動が持ち上がる。思わず世一も一緒に騒ぎ立て……と展開してゆく。

ここで思い出したのだが、他の登場人物が覗き込む中、物語が進行してゆく……というのは、浄瑠璃にとても多い設定である。文楽ファンなら、覗き見で進むストーリーには慣れすぎるくらいに慣れてしまっているのではないだろうか。舞台の左手からも、右手からも覗き見……で舞台が進むのは、浄瑠璃くらいではないだろうか。

覗き見という手法をとると、違う世界の人間でも、自分の所属とは違う世界であっても、我が事のように反応する様子を自然に観察できる……と「千日の瑠璃」のこの箇所に思った。

文楽の場合も、覗き見する方、覗き見される方、両方の人形の動きを眺めることで、物語の世界を重層化していくようにも思う。

それにしても覗き見が当たり前の浄瑠璃の世界。これはやはり塀や障子という覗き見しやすい日本の住環境が影響しているのだろうか?

私は節穴だ、

   ほんのたまにしか人の通らないうらぶれた路地と
      歯科医の家の敷地を截然と分かつ
         かなり古びた板塀の節穴だ。


(丸山健二「千日の瑠璃 終結2」122頁)

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