丸山健二「風死す」1巻を少し再読する
ー様々な生の形が多様な語り口で語られているー
以下引用文。カケスの鳴き声は、たしかに赤ん坊の泣き声のようでもあり、何かを論じているようでもある……。この突拍子もない比喩が妙に納得できて立ち止まってしまう。
さらに「柱頭に花粉を付着させた頭状花」という自然科学のテキストに出てくるような文、そのあとに続く「俯き加減で咲くことの意味を語り」という詩的な文との対比が鮮やかで心惹かれる。
「独り草むしりをする」のは丸山先生自身の思いと重ねているのだろうか……「毎日草むしりをして雑草との戦いです」と言われていたこともあるし。
断崖の地層の段落も、たしかにそうだ……と納得してしまう。
こうして様々な儚い生の形を語られたあと、「生と死のいずれの側も」と語られると、妙にストンと納得させられる感じがある。
赤子の泣き声を実に器用に真似るカケスが
生誕の意味の広狭について巧みに論じ
柱頭に花粉を付着させた頭状花たちが
俯き加減で咲くことの意味を語り
豪壮な邸内で独り草むしりをする
頭に積雪を置いた高齢者らの
途切れることなき咳嗽は
突然死を希っており
数十本の線条が走る
断崖の地層には
その時代が
刻まれ、
深くて激しい陰鬱な背景を負う生と死のいずれの側も 無から創造される者ではなく
双方のあいだには 揺るぎなき類縁関係がきっちり成立していると そう理会され
(丸山健二「風死す」238頁239頁)