さりはま書房徒然日誌2023年9月15日

丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻を少し読む

ースッとは分からないけれど、読んでいるうちに心にリズムが生まれる不思議な文体ー

丸山文学を読み始めた当初……

漢字の読みも、意味も分からない言葉があったり(しかも私の場合は結構たくさんあった)、他の作家のなるべく読みやすく……という親切心で書かれた作品とは違って、深い意味を理解するまで、何度も往復して読みを繰り返したり……したものだ。

いや、今でもそうである。

でも多少意味がわからなくても読んでいれば、不思議にも心地よいリズムが生まれてくる。

丸山健二塾で指導を受けているとき、「の」の繰り返しが三回になってしまったことがあった。
文芸翻訳を勉強していたとき、翻訳家から三回「の」を繰り返すな……と教わった記憶がある。
丸山先生に「の」が三回ですがいいのですか……と質問したところ、先生はニヤリと笑って「五回『の』を繰り返すことだってある」言われた。

原著者の言わんとするところをなるべく正確に近い文体で分かりやすく伝える翻訳……。
文体のリズムに自分の叫びを刻もうとする丸山先生の散文への姿勢….
小説の翻訳と創作、両者は根本的に違うのだなと思った。

東日本大震災の被災地を実際に見てから数年後の丸山先生の叫びは、やはりこの文体なのだろう。
ちなみに当然ながら私の叫びはまた全く違う文体なのである….これが散文を書いたり、読んだりする面白さなのかもしれない。

以下の引用箇所は、最後の長編小説「風死す」に発展してゆく文体のような気がする。

丸山文学初めての方のために、内容で色分けしてみた。


紫の部分は、大地震の余震の凄まじさを書いている。
赤字部分は、地震によって否定されてしまう人間らしい諸々を、繰り返し連ねている。
読み慣れるとこの反復によって、リズムが、イメージが生まれてくる。

そのあとを継ぐ、

あたかも
ありったけの元素を強引に融合させてしまうかのごとき
とてつもなく重量感にあふれた大混乱をもたらし、

目もくらむような恐怖を差し招いて
空想上の歴史の到達点を現実のものとしたのかもしれぬ、

永遠の因果律を支える
非人間的で悪魔的な自然界の発作的な大激怒は、

いよいよもって人類滅亡という幻日が昇ったかの観を呈しつつ
およそ生命原理の根底からの崩壊を免れそうにない
恐ろしい必然に支えられた無限なる不幸を象徴し、

さらには、

神仏の意思をはるかに超えて
細心綿密に組み上げられたこの惑星が
無何有の郷には遠くおよばず
結局は砂上に描かれた要塞でしかなかったことを冷ややかに証明し、

また、

自分にできないことはないと高言してやまぬ
断然強い守護者という幻の存在を
にべもない解釈で斬って捨てたあと
陰鬱な後味を残す嘲笑に付し、

それから、

正義の原則なるものを、

我らを導く愚かな期待を、

共通の基盤に立つ世間の通念を、

形而上の世界と気脈通じる最良の日々を、

単に墓に下る者ではない人間らしい人間としての生涯を、

かけそき楽の音のごとき詩的香気を放つ言霊を、

万人のうちに本性的に具わる隣人愛を、

真っ正直に澄みきった知性を、

心を明るく照らす生きた力を、

良く生きるための崇高な善を、

慈悲深い美的行為を、

油然と湧いてくる詩想を、

醜怪な幻として

もしくは
慢性の凶器として
情け容赦なく斥けた。

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻100頁)

よく分かったとは言えないけど、リズムを感じながら読み進める……という読み方に丸山文学で慣れたせいだろうか。
今度、素天堂さん追悼読書会の課題本「黒死館殺人事件」も筋をよく把握していないけれど、読んでいるうちに不思議なリズムが心に生まれる過程を楽しんでいる気がする。

引用箇所に出てくる「無何有の郷」(むかうのさと)とは、日本国語大辞典によれば「物一つない世界の意味」で荘子に出てくる「架空の世界sw、無意・無作為で、天然・自然の郷。むかゆうきょう。ユートピア」だそうだ。
初めて知った。日本語の豊穣なることよ。

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