丸山健二「我ら亡きあとに 津波よ来たれ」上巻を少し読む
ー様々な色が一つの人格をなす人間はステンドグラスさながらの存在ー
丸山健二塾でご指導頂いているときに、「この人物はすごく嫌な人間なのに、そういう風に表現すると嫌な部分が減ってしまうのでは?」と質問をしたことがあった。
丸山先生は「こういう人間だ……と決めつけて書くのはすごく古い書き方で、色んな矛盾をはらんだ存在として書くべき」というようなことを答えられたと思う。
丸山作品を読んでいると、やはり一人の人間の中に色んな面を見いだそうとする視点を感じる……。
たとえば「我ら亡きあとに 津波よ来たれ」で、大津波にのまれて三日間さまよいなながら、主人公が己を語る言葉も実に多様な姿を映している。
そんな自分のことを、
無責任な影法師に見せかけたがるやくざな根なし草、
あらゆる無法な特権が許される狂人、
他人に嫌悪を催させる
情の深い清廉な人物、
自身が国家であるという普遍的な叫び声を発する
熱烈な激情を秘めた道化役者、
青春の日は翳ってもなお心湧き立つ
反逆的な激情の持ち主、
どこまでも楽な暮らしをしたがる
根性の腐った奴、
常に万人と共に在る
夢見るような自由人、
それほど厄介ないつまでも超脱できない自分自身にのみ服従する
真っ正直と言えば真っ正直な無能な人種へと、
安産の過程のごとく
じつになめらかに移行してゆくのだった。
(丸山健二「我ら亡きあとに 津波よ来たれ」上巻75頁)
人間とはステンドグラスのように様々な相反する色をはらみつつ、調和して生きる存在なのかもしれない。
写真は2枚とも、パリのノートルダム大聖堂のステンドグラス。