丸山健二『千日の瑠璃 終結3』六月十二日を読む
ー「馬」を語る文ののびやかさー
六月十二日は「私は馬だ」で始まる。うたかた湖の近くで飼い主に捨てられた乗馬用の馬が語る。
以下引用文。丸山先生の書く馬の姿は、どの作品でも実に気持ちよさそうな雰囲気がある。この捨てられた馬にしても、「波打際」「冷たくて甘みのある水」「柔らかくて香りのいい青草」という言葉から浮かんでくるのは、のんびりと生を味わっている姿である。
人気はなく
聞こえるのは鳥のさえずりと羽音のみで、
少しばかり落着きを取り戻したところで
私は波打際をまで行き
冷たくて仄かな甘みがある水を飲み、
それから
岸辺に生えている柔らかくて香りのいい青草を
しみじみと味わいながら食んだ。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結3』219頁)
以下引用文。捨てられることで馬が獲得した自由も、「突風になびく草にも似た動きをする少年」と語られている世一の姿も、やはり自由そのもので心に刻み付けられる。
要するに
まだおのれが置かれた状況や立場を充分に理解しておらず、
行き先についてもはや誰の示教を仰がなくていいこと
今後の展開の万事がわが方寸に在ること
それを知らず、
知ろうともしないまま
角を曲がったところで
突風になびく草にも似た動きをする少年と
ばったり出くわし、
その刹那
運命的な出会いを直感した。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結3』220頁)