丸山健二『千日の瑠璃 終結3』六月十四日を読む
ー何を踏んで生きている?ー
六月十四日は「私は足の裏だ」で始まる。「芝生を踏んでひた走りに走る 死ぬことを忘れたとしか思えぬ」老人の足の裏が、これまで踏んできた十五の風景を語る。
途中から世一の足の裏が踏んでいるものが四つ語られる。
老人の足の裏が踏むのは、シビアなこの世。世一の足の裏が踏むのは、人間の精神の素晴らしさ、不思議さに思え、このコントラストがわずか4ページに凝縮されている。
以下引用文。老人の足の裏が踏んできたもの。
陰に陽に力になってくれた友からの真情の籠もった手紙を踏んだことがあり
夜な夜な怪火が飛び交う湿地帯の草を踏んだことがあり
処女地に鍬を入れるために北の大地を踏んだことがあり、
そして私は
痛感する時弊と
少しも変わらぬ性根を踏みつづけ、
(丸山健二『千日の瑠璃 終結3』227頁)
以下引用文。世一の足の裏が踏んできた世界。
私は誰に踏まれ、何を踏んで生きているのだろう……と思った。
世一のそれが踏みつけているのは
放恣な想像力から生まれたとおぼしき
底なしに素晴らしい夢のあれこれであり、
もしくは
この世におけるいっさいが非現実的であるとする
永遠の暗示であり、
さもなくば
運命の浮沈などものともせぬ
不滅の言葉であり、
はたまた
おのれの何者なるかを知らずに
がむしゃらに生きることの
素晴らしさである。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結3』228頁)