丸山健二『千日の瑠璃 終結3』六月十五日を読む
ー選別される鯉に人間を重ねてー
六月十五日は「私は稚魚だ」で始まる。錦鯉の稚魚が世一の叔父と世一を語る。
以下引用文。
稚魚の選別をする男もまた「社会や国家によって 実にむごたらしい選別を受けてきた」という視点の冷徹さ。その見方を支えるような「魂はすでに絶命しているのかも」という情け容赦ない言葉に、自分のことを言われているようでグサリとくる。
そんな叔父とは対照的な世一の「生者の中の生者」という言葉に救われるようで、ふと考えさせられるものがある。
思うに
見る影もない姿の彼自身もまた
これまで幾度となく
社会や国家によって
実にむごたらしい選別を受けてきた。
彼はまだ死んでおらず
ともあれ生きてはいても
その魂はすでにして絶命しているのかもしれず、
しかしそんな叔父を訪ねてきた甥はというと
判断の基準が非常に難しく
ひょっとすると
生者のなかの生者であるのかもしれないのだ。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結3』233頁)