丸山健二「トリカブトの花が咲く頃」下巻を少し読む
ー太陽の問いに躊躇する巡りが原におのれが重なるー
瀕死の特攻隊くずれの青年を救おうとする瞽女の娘を見て、巡りが原は助けたいと思えども、望むように動けぬ身に苛立つ。
そんな巡りが原の葛藤は、私たちが毎日できるだけ考えないように誤魔化している生の不安に他ならないのではないだろうか?
語の繰り返しは嫌う丸山先生だけれど「『ぎらぎら』という言葉は別。繰り返しても大丈夫」と言われていた記憶がある。
たしかに「ぎらぎら」には繰り返されても、どきりと迫る何かがある。
いや
是が非でも助けてやらなければならず
また
それくらいのことができずして
意識と知性と慈愛をさずかっている「巡りが原」の存在意義はないのだ
ぎらぎらの太陽が
ぎらぎらの言葉で
ぎらぎらの問いをこの私に投げかけてくる
そもそも汝は何者ぞ?
しかし
自己の根拠を何に求めていいのか
どうやって自分自身に折り合いをつけていいのか
さっぱりわからぬ私としては
ただただこう答えるしかない
それを問いたもうな!
なぜとなれば
すべての存在がその件で思い悩み
苦しんでいるのだから!
(丸山健二「トリカブトの花が咲く頃」下巻405頁〜406頁)