丸山健二「風死す」1巻を少し再読する
ー作者の影がひっそりまぎれこんでいるように感じることもあるー
以下引用箇所を読むと、いぬわし書房のオンラインサロンで丸山先生が語っていた自らについての言葉が思い出される。
「風死す」の主人公は、時として著者自身の心情が濃厚に反映されているのかも……。そんな風に、ふと思ってしまうような文言がさりげなく散りばめられている。
幼心にも悲しかった 何かに付けて隣人が浴びせかけてくる 極めて露骨な白眼視やら
複雑さ故の悲しい出生に纏わる 聞こえよがしの悪口やらを ふと思い出すたびに
それが反発心の種となって ついつい過剰に生きてしまう原動力へと変換され
(丸山健二「風死す」1巻304頁)
丸山健二「千日の瑠璃 終結」1を少し読む
一「生」と「死」がテーマの散文詩のような最初の四頁ー
前回「トリカブトの花が咲く頃」を読み終えたあと、次の丸山文学は何を読もうか……?と迷いつつ、中々決め難かった。
私は比較的最近の読者である。後期の丸山文学から読み始めたので、読んでいない作品がたくさんある。
丸山先生のお庭見学の時に他の方と「風死す」の話を他の方としたことがきっかけで、なんとなく「風死す」の再読を始めた……。
すると初読時には気がつかなかったことが次から次に出てくる。
やはり、「風死す」は何度も再読したい本だ。
でも他の作品も読みたい……と迷っていたら、神保町PASSAGE書店に借りている棚から「千日の瑠璃 終結」1を、どなたかが購入してくださった。
この本を読んでいる人がいる……と思うと、釣られて読みたくなるものである。それに「千日の瑠璃」は、最初の方しか読んでいないし……と読むことにした。
「千日の瑠璃 終結」は見開き4ページで一日が一話になって進む形になっている。
出だしは「私は◯◯だ」と、人間でないものたちが少し不自由なところのある少年与一を物語っていく。
十月一日は「私は風だ、」で始まる。
「名もなき風」が語る「一段と赤みを増した太陽」、「不憫な老人」の死、老人の死体に温もりを求める「ちっぽけな野鳥」……。
このたった四ページだけで生と死が存分に語られているような充足感がある。
十月一日の最後は以下引用の、紅葉の描写で終わる。大町に住んでいる丸山先生だから浮かんでくる紅葉風景だと思った。
どこまでも天界に近い峰々の紅葉が燃えに燃える
静寂と絢爛の錯綜に終始した
なんとも優雅にして平和な
掛け替えのない黄昏時のことであった
(丸山健二「千日の瑠璃 終結1」5頁)