丸山健二『千日の瑠璃 終結3』七月十三日を読む
ー思いがけないイメージの方が心に残るものー
七月十三日は「私は荒涼だ」で始まる。この箇所は意外性に満ちていたので心に残る。
以下引用文。私は杏が好きだが、「可愛い」というイメージのある杏の枯れ木に「荒涼」を見出すという展開に、思わずどんな木の残骸なのだろうと考えてしまう。
もう何年も前に雷火に焼かれ
さらに落石によって幹を真っぷたつに裂かれて
とうとう枯れてしまった杏の大木に宿る
ごくありふれた荒涼だ。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結3』
以下引用文。丸山先生らしい作家が出てくる。だが杏の枯れ木に宿る荒涼に怖じ気づいて逃げ帰ってしまう……という意外さに、どんな荒涼なのだろうと考えてしまう。
すらすら繋がるイメージよりも、思いがけないイメージの方が考えさせるものだと思った。
物好きにもわざわざ私に会いにやってきた
ときにはおのれ自身を虫けら扱いしたがる小説家もまた
私をひと目見るなり
犬を連れてこなかったことを後悔し
核心に迫る言葉を発見するどころか
尻尾を巻いて逃げ帰り、
あとには
筆禍を招きそうな文章の二つ三つを
置き去りにし、
一般の気受けがあまりよろしくなく
とかく風評のある彼の背中に
私は悪態の連打を浴びせる。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結3』343頁)