丸山健二「千日の瑠璃 終結2」一月十五日を読む
ー人ではない存在「橇」が語れば子供の遊びもこう見えてくるー
一月十五日は「私は橇だ」と「少年世一を乗せて」走る「安っぽいプラスチック製の橇」が語る。
以下引用文。世一を「この際思いきって変えてしまおう」と橇は思いたつ。
実際には橇に世一がはしゃいでいる場面かと思うが、人間ならざる存在「橇」の視点に寄せて語れば、不自由な筈の世一が超人のように思えてくる。
それは「生きる者に変え」という畳みかけるリズムの繰り返し、
漢字の多い行頭からその漢字のイメージから離れた言葉で行末を終える意外な展開の続き(例「惻隠の情」と「蹴散らす」)
「俯瞰できる者」から「鳥に近づけ」というように上昇してゆくイメージを膨らませているせいなのだろうか。
競争激甚の世をすばしこく生きる者に変え
降りかかる災難を事前に察知する者に変え
惻隠の情を蹴散らす者に変え、
はたまた
徒手空拳で生きる者に変え
社会の安寧を乱す者に変え
まほろ町を俯瞰できる者に変える。
そして世一は
速度が増すにつれて
その存在をどこまでも鳥に近づけ、
私がちょっとした瘤に乗り上げて宙を飛ぶ一瞬などは
完全に鳥の目で世間を眺めており、
(丸山健二「千日の瑠璃 終結2」26ページ)