丸山健二「千日の瑠璃 終結2」一月十六日を読む
ーありふれた空間が意味をもってくる不思議さー
一月十六日は「私は十字路だ」とまほろ町の中心部にある「なんの取り柄もない 平々凡々たる十字路」が語る。
以下引用文。平凡な道ではあっても、十字路とは思いがけない者同士が出会う不思議な空間であることに気がつく。
現実には、十字路で世一と丸山先生を思わせる作家がばったり出会った……ただ、それだけの場面である。
その風景を散文にすると、こんなふうに意味を持たせ、別の時が流れているように書けるのかと思った。
そんななか
霧の海を泳ぐようにして
北の方角から忽然と現れたのは
あの少年世一で、
時を同じくして
南の方から
黒いむく犬を連れた
よんどころない事情で小説家になった
いかにも我の強そうな男がやってくる。
そして
西の通りから〈肯定〉が悠然と近づき
東の通りから物知り顔の〈否定〉が悠然と迫り、
(丸山健二「千日の瑠璃 終結2」31ページ)