丸山健二「千日の瑠璃 終結3」四月二十一日を読む
ー観察が文に発酵するとー
四月二十一日は「私は牛だ」で始まる。
以下引用文。丸山先生は通行人とか電車で隣り合わせた行きずりの人をよく観察して文にすると言われていた。
多分、次
の場面もどこか不自由なところのある少年が飼い牛のそばに近づき、その乳房をしゃぶるという場面を実際に目にしたのでは?
だが、ただ描写するにとどまらず、少年が求めるもの、少年が与えたものを作家が考え、言葉にしてゆく過程に面白さを感じる。
少年はその都度乳をせがみ
むげに断るわけにもゆかないので
一滴たりとも出ない乳房をしゃぶらせてやり、
つまりはこういうことで
私は彼が所望する愛に似て非なるものを与え
先方はこっちのなかに溜まりに溜まった
退嬰やら倦怠やらを
余さず吸い取ってくれたのだ。
思いなしか
その病児の体の震えが和らいだかのように見えることもあった。
(丸山健二「千日の瑠璃 終結3」13ページ)