丸山健二「風死す」1巻を少し再読する
ーすごく大きな存在から小さな存在まで僅か数行で語る対象が変化する!ー
以下引用文。
語られている対象は、まずは人智を超えた大きな存在である。
それが段々と身近な存在や主人公自身の感情へと収縮してゆく。
そんなふうに対象が変化してゆく過程をとおして見ると、意外とちっぽけな人間にもロマンがあるのだなあと心打たれるものがある。
「定かなる宿命と 定かならざる運命」というフレーズに、まず運命の神様みたいな語り口で格好いいと惹きつけられる。
最初の段落が「高らかに舞い上がり」で終わり、次の段落が「東の空に利鎌のごとき月が架かる」と空の高いところにある月の描写で始まっている。
よくは意味が分かっていなくても、何となく「高い」繋がりでイメージが連続するから、分かっているような錯覚に陥る。
同じように「利鎌」「月」「銀泥」とイメージがかすかに心の中で結びついている。
「銀泥のような」ではなくて、「銀泥に酷似した」と言えば「のような」のオンパレードを避けられると学習する。
……ああ心に残る文!と思い、なぜだろうと野暮なことに追及してしまった。
定かなる宿命と 定かならざる運命が複雑に絡み合って
天命の潮流が宇宙の彼方から運んでくる快楽主義が
疲労の極に達して埃と共に高らかに舞い上がり
東の空に利鎌のごとき月が架かる秋の夕間暮れ
銀泥に酷似した色合いの大海原を前にして
花筵の上で密やかに茶を立てる粋人が
はっと思い当たったことに驚いて
思わず張り上げた短い叫びが
蛇行した河岸を独り行く
俺の胸にいたく響き
(丸山健二「風死す」1巻375頁)