丸山健二「千日の瑠璃 終結2」四月四日を読む
ー「街道」がただの「街道」でなくなるー
四月四日は「私は街道だ」で始まる。この四月四日はとりわけ好きな箇所である。
「街道」という運ぶとか通行するという機能のためにある存在。それが丸山先生の視点を通して語られると、別の意味を帯びた存在へと揺らぐ。この世界の在り方への丸山先生の思いが、文となって迸るような気がしてくる。
まほろ町と世間を結び
誤った観念と世人の目を瞞着する情報の数々を
昼夜分かたずに運びつづける
獣道が源の古い街道だ。
(丸山健二「千日の瑠璃 終結2」342頁)
以下引用文。そうした街道を通る様々な人間群像が、全部で十一の姿となって書かれていく。以下はその一部である。通行人の姿を繰り返すことで、この世の多様性が心に響いてくる気がする。
今年初めて陽炎を立ち昇らせた私の上を
勃々たる野心を姑息な手段によって実現させたがる者が通り
全財産をすってからやっと故地を訪ねる気持ちになった者が通り、
別にどうということもない精神的苦痛のせいで
仏を渇仰してやまぬ者が通り、
(丸山健二「千日の瑠璃 終結2」342頁)