丸山健二『千日の瑠璃 終結3』五月二十日を読む
ー倒影を眺めるとき、知らない自分と会話しているかもー
五月二十日は「私は倒影だ」で始まる。「倒影」の方が「実像では絶対に識別不可能なものまで くっきり表現している」という文が心に残る。
そういえば倒影を見るとき、影と対話している気分になることがあるかもしれない……倒影を眺めることは、知らない自分や世界に目を配ることなのかもしれない。
鳥の羽毛一枚
草一本
アブラムシ一匹
花粉一個に至るまで精確に映し出し、
そして
元大学教授の徒爾に終わるかもしれぬ一生をも正しく映し、
しかも
実像では絶対に識別不可能なものまでも
くっきりと表現している。
くだらないことで朝っぱらから夫婦喧嘩してしまった苦々しさ
この世にいつまでも存することの苛立ちと哀しみ、
この歳まで生きてこられたことへの感慨
学者としてもう少しなんとかなったはずだという後悔、
果ては
不遇の鬱憤晴らしもできない惨めさ、
(丸山健二『千日の瑠璃 終結3』127頁)