丸山健二『千日の瑠璃 終結3』五月二十一日を読む
ー喪失の予感ー
五月二十一日は「私は友情だ」で始まる。身体の不自由な少年・世一と彼が可愛がって世話をしているオオルリとの間に芽生える友情が語る。
以下引用文。オオルリに夢中になっている世一の無邪気さ、天真爛漫さに微笑みかけている心に「互いに相手を失った際の深刻さについて理解が及ばず」という言葉が、なんとも不吉な、悲しい展開を仄めかす。
そんな風に思ってシュンとしてしまった読み手の心に、オオルリの思い描く様々な生き物の姿は一際悲しく、囀りが沁みるように響きわたる。
けれども
当のかれらはまだ私に気づいておらず、
ために
互いに相手を失った際の深刻さについて理解が及ばず、
きょうのオオルリは
乱伐によって荒れ果ててしまった遠くの山々と
供応のために小さな集落の片隅で絞殺された家禽、
自由の大敵たる国家の片棒を担ぐおのれを嘆く男と
テンの奇襲を受けてまる齧りされているマムシ、
日々の営みが
理由なき行為の連続でしかないという疑いを
どうしても拭いきれない学生、
そうした生き物を想い描いて
頻りにさえずる。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結3』133頁)