丸山健二「千日の瑠璃 終結1」を少し読む
ーイメージを考えることで余韻が生まれる気がするー
「私は扉だ」で始まる十月二十八日。
まほろ町に開設された「小型の火器を懐に帯び」「いずれもが欠損している異様な手」の男たちが出入りする事務所の扉が語る。
常識の範囲で生きる「まほろ町」の住民たちが男たちや事務所を恐れる様子、恐れられている男たちの様子……そうしたものがどこかユーモラスに書かれている。
そんな町民たちが恐れる事務所の扉に落書きをする世一は、どこか不思議な存在である。
最後が「その絵は鳥のようでもあり髑髏のようであった」とあるので、世一が飼っているオオルリの姿なんだろうか、それが髑髏に見えるとはどんな形?と思い浮かべ、しばし余韻を楽しんだ。
ところが
夜更けになってやってきた
不治の病のせいなのか
怖れというものを知らない少年が
拾ったチョークを使って
私の面に落書きをし、
その絵は鳥のようでもあり
髑髏のようであった。
(丸山健二「千日の瑠璃 終結1」113頁)