堀田季何「俳句ミーツ短歌」を読む
万葉集の頃から現代の、そして海外の動きまで詳しく解説。短歌や俳句と言えば、不動のスタイル……かと思っていたが、そうでもなく少しずつ形を変えてきていることがよくわかった。
いにしえから現代までたくさん引用されている俳句、短歌も、その解説も楽しい。
でも不自由なところもあるんだなあ……と思ったり。例えば俳句についての以下の文。第五章より
師系が異なると俳句についての価値観が根本的に違い、どの結社にいるかで俳句の読み、解釈はまったく変わってきます。短歌にも結社や師系はありますが、俳句の方が「解釈共同体」の側面が強いです。
解釈共同体は嫌だなあ……と思う。
縁語についての説明もわかりやすく、そうか……と納得。以下、青字は第四章「難波潟短き葦の節の間も遭わでこの世を過ごしてよとや」の縁語についての説明より。
言葉と言葉を関係づけることで、「会ってほしい」という気持ちは強調されます。言葉がつながりによって導かれることによって、作者が訴えたい心情は必然的なもの、逃れられない運命的なものとして立ちあらわれるのです。
本を読み終えたとき、なぜか心に一番残ったのは渡邊白泉の次の句である。戦争の擬人法という有り得ない感が、なぜかピッタリのリアリティを生み出しているからだろうか?
戦争が廊下の奥に立つてゐた
憲兵の前で滑って転んぢやつた