丸山健二『千日の瑠璃 終結3』五月十三日を読む
ー世一の悲しみー
五月十三日は「私は丘陵だ」で始まる。「丘陵」が見つめる少年世一はいつもと違って体の揺れもなく、微動だにしない。
以下引用文。やがて丘陵は世一の心の悲しみに気がつく。
最初の「世一は〈無〉それ自体を眼中に納め 〈虚〉を表象して止まぬ震え声を微かに発しており」という文から、悲しみが抽象的な画像となって浮かんでくる。
風の「だしぬけに甦った 幼心にも悲しい記憶」という言葉から、「静かに去って行く」姿から、世一の悲しみがひしひしと伝わってくる。
素手で足元に穴を掘る世一の姿にも悲しみが溢れそうである。
「いっしょに投げこみ 土をかぶせて埋め戻し」の悔しさ、やりきれなさに波立つのはうたかた湖の湖面か、それとも私の心なのか……。
世一は〈無〉それ自体を眼中に納め
〈虚〉を表象して止まぬ震え声を微かに発しており、
打ち見たところ
何やら事情がありそうで、
そこで私は
当人を避けて
いったいどうしたのかと
風に訊いてみる。
すると風は
だしぬけに甦った
幼心にも悲しい記憶に
ああして耐えているのだと
そう答えて
静かに去って行く。
耐えるだけ耐えた世一は
やがて素手で足元に穴を掘り、
ついでその穴に
母親が確かに吐いた「あの子はもう駄目よ」と
父親が口癖のように呟いた「駄目なものは駄目さ」という言葉を
いっしょに投げこみ
土をかぶせて埋め戻し、
そんな彼の悲痛な叫びが私にこだまして
うたかた湖が一面に波立つ。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結3』101ページ)