丸山健二「風死す」1巻を少し読む
ー映画では出来ない、文章だから可能な表現ー
昨日、「千日の瑠璃 終結」について、映画好きな丸山先生は時々映画の場面を思わせるような情景をつくると書いた。
丸山先生は映画でこそできる表現、できない表現というものを考え、時として「映画ではできない表現」に言葉をぶつける気がする。
以下引用文も、言葉だから可能な表現なのでは……と思う。
主人公の目に「高層ビルの最上階から遠望される」風景。
映画なら一瞬で終わってしまう場面だろう。
でも言葉で表現されると、読み手の頭にその景色が浮かんでくるまで言葉と言葉を結びつけ、想像して……という複雑な過程を踏むことになる。
でも大抵、その過程が面倒くさかったり、実用的な文が良しとされる最近の国語教育の風潮を思えば理解されなかったりするのだろうが、この実に頭を使う面倒臭い過程こそが、人間である楽しみなのではないだろうか?
引用文に作者が込めた現代社会への批判的な視線……この視点こそが書く行為の根本姿勢ではないだろうか、現代日本では軽んじられているけど……と思ってくださる方がどこかにいたら嬉しいです。
このレイアウトがサイト上に綺麗に表示されるか心許ないのですが……。
「風死す」はそのうち神保町PASSAGE SOLIDA 詩歌の専門棚にある「さりはま書房」の棚に置く予定です。神保町散策の折、ちらりと立ち読みしに棚に寄って頂ければ幸いです。
そして 太古の昔から聳え立っているかのような高層ビルの最上階から遠望されるのは
地球規模に蔓延する巨悪であり 忌避の対象としては充分な 異様な事物群であり
産業予備軍の緊縛にはどうしても打ち克てない 弱体化が進み行く立場であり
購買意欲をそそる 膨大な数の商品が 所狭しと並んでいる陳列棚であり
繁文縟礼のきらいが多分にある 埋め合わせ的な お役所仕事であり
高談雄弁が飛び交う抗議集会であり クスリに淫する風潮であり
やけに軽弾みな言動であり 憤死の源であり 嘘偽りであり
人口の稠密度がおそろしく高くて破滅が臭う空間であり
寝食を忘れて最終兵器の研究に打ちこむ学者であり
隣接区域を残らず買占める無秩序な噴出であり
世に遍く知られている非現実的な夢であり
錯乱の光景であり 危険の源泉であり
煩いの種であり 薄ら笑いであり
性腺から出るホルモンであり
荒れそうな空模様であり
才気煥発な子であり
死ぬ巨木であり
朝霧であり
心的な錯乱
であり、
さもなければ 憂悶の情に堪えない 未来を完全に奪われてしまった不幸な時代であり
生を威圧してやまぬ緩慢な死であり 詩才の限界を超出して精選された言霊であり
その筋の専門家に貢献する鋭敏な鑑識眼であり 胸に響く忠告のたぐいであり
持参金の多少によって評価される人物像であり 萌え出る若草の原であり
やきもきさせられる問題解決のもたつきであり 避難先の花壇であり
同業者の離間を企てたがる著名な経済人であり 直行の士であり
創作に筆を染めた芸術家であり 過酷な大地を好む命であり
定かにはわからぬ他人の事情であり 権力の継承であり
世を儚んでの入水であり 接岸する大型艦船であり
国旗を先頭に押し立てて行進する愛国者であり
みるみる肥立ってゆくまだ若い産婦であり
親子の情を見せつけられる情景であり
長年の努力が無になる瞬間であり
苦しみながらの断末魔であり
本震並の揺り返しであり
煩多な力仕事であり
魂の亀裂であり
涙声であり
軍事的危機
である。
(丸山健二「風死す」1巻540〜544頁)