丸山健二『千日の瑠璃 終結4』九月二十五日を読む
ー生々しい筈の場面が不思議な感じを帯びてくるー
九月二十五日は「私はカレイだ」と、世一の姉が煮返そうと冷蔵庫から取り出したカレイが語る。
以下引用文。彼女の貯金を狙ってか結婚への甘い言葉を囁くストーヴ職人とのやり取りを振り返る姉。生々しいメロドラマになりやすい場面かと思うが、「深海魚」の例えや鍋の音から「わからん、わからん」という言葉に重ねることで、人間の世界を脱出して、なんとも愉しいメルヘン的色彩を帯びている気がする。
そんなことを呟く際の彼女の顔は
ほかの魚をまる呑みにして生きてゆく深海魚にどこか似ており
なんとも不気味で、
すっかり怯えきった私は、
そうしたことを訊くならほかの者にしてはどうかと勧め、
しかし
沸騰へ向かって突き進む鍋は
「わからん、わからん」をくり返すばかりで、
その間にどんどん煮詰まってゆき
せっかくのおかずが焦げ付き、
(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』241ページ)