さりはま書房徒然日誌2023年10月26日(木)

丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上下巻読了

ー明るくて詩人のようなドッペルゲンガーがしょっちゅう出てきた!ー

再度、砂浜に穴を掘ってドッペルゲンガーを埋めたところで、またしても大津波に襲われ、青年は穴に墜落。
だがドッペルゲンガーの上に落ちたかと思いきや、そこには誰もいなかった……。
去ってゆくドッペルゲンガーの姿が見えるのみ。

考えてみたら「我ら亡きあとに津波よ来たれ」は津波で死んだ青年、そのドッペルゲンガー、ドッペルゲンガーが映じる介護が必要な義母の忌まわしい思い出だけから成り立っている。

つまり実質、登場人物は一人だけなのである。たった一人の登場人物でこれだけ長い小説が書けるのか……と驚く。

「我ら亡きあとに津波よ来たれ」はドッペルゲンガーも主要登場人物で、しょっちゅうドッペルゲンガーが出てくる。

丸山先生がドッペルゲンガーをよく作品で取り上げるのは、量子力学にはこの宇宙と同じ宇宙が複数あるという考えがあるからとのこと。同じ宇宙があるなら、もう一人の自分は確実にいるとの考えがあるようだ。

そんな考えのもとに書かれるドッペルゲンガーはどこかユーモラスでもあり、哲学的でもあり……。

他の作家のドッペルゲンガー作品は不気味で、ドッペルゲンガーと会って主人公は死ぬ……という暗いパターンの短編が多い。

だが丸山文学のドッペルゲンガーは以下の引用箇所にもあるように、明るく、時も自由に駆けてゆき、どこか詩人のようである。そして不幸な生い立ちの現世とはかけ離れた姿をしている。
この他にはないドッペルゲンガーの捉え方こそが、「我ら亡きあとに津波よ来たれ」の魅力の一つでもある。

初回に匹敵する大津波の音が痛々しく響くなか、

どこまでも人懐っこい嘲弄を置きみやげに
おれを見捨てて
いずこへともなく去って行く、

高潔な態度と微温的な物腰の両方を持することによって
ほかの誰よりも人間的な風味を添え、
真っ当に生きて
幸福に死んだあ奴は、

なんと、

へだたりを広げるにつれてどんどん若返り、

たちまちにして少年時代を通り過ぎ、

今ではもうよちよち歩きの幼児そのものと化しており、


しかも、

いつしか孤立の状態から解き放たれていて、

驚くべきことに
その両側にはふたりのおとなの男女がぴったりと付き添い、
それは
誰が見ても生みの親に違いなく

丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」下巻579頁

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