丸山健二「千日の瑠璃 終結2」三月二十七日を読む
ープランクトンを語り手にすることで見えてくるものー
三月二十七日は「私はプランクトンだ」で始まる。うたかた湖の動物性のプランクトンが自身を、そして身体に不自由なところのある少年・世一を語る。
以下引用文。もし人間の視点で語れば「世一は体を揺らして湖面を見つめていた」で終わってしまう場面である。
プランクトンが語り手となることで、「数億年の進化の隔たり」という科学的にして大袈裟な言葉もしっくりとくる気がする。
「不敵な夢想家の眼差し」「この世における存在の意義なんぞを探っている」という実際にはあり得ない描写も、プランクトンが語ることで説得力をもってくる。
この世における文学の役割は、固定化された見方から解き放って、人を自由にするところにもあるのかもしれない。
体全体が意思に反して波のごとく揺れ動く少年が
岸辺にしゃがみこみ
数億年という進化の隔たりをものともしない
不敵な夢想家の眼差しで
私のことをじっと見つめ
この世における存在の意義なんぞを探っている。
(丸山健二「千日の瑠璃 終結2」313頁)