移りゆく日本語の風景ー蛙楽は遠くになりにけりー
何をうるさいと思うかは、感覚、価値観の問題があって個人差も大きい。
音に関しては、私の快適があなたの不快……になりがちで難しいと思う。
さて最近「水田のカエルの声がうるさいから何とかしてほしい」という話題をニュースで見かけた気がする。
私は一番最初の勤務先が四方を水田に囲まれた場所だったから、この時期の水田から吹いてくる風、カエルの大合唱には涼しさと懐かしさを覚える方だが……。
カエルも水田も馴染みのない人にとっては、受け入れ難い音なのかもしれない。
でもかつて「蛙楽」(あがく)という言葉が存在するほど、蛙の声に日本人は風情を感じてきた。
ジャパンナレッジの日本国語大辞典によれば、「蛙楽」の意味、例文は以下のとおり。
蛙の鳴くのを音楽にたとえていう。蛙の音楽。
*筑波問答〔1357~72頃〕「旧池の乱草をはらひて、蛙楽を愛することあり
ちなみに蛙に関する文は、ずいぶん昔からあるようである。
以下、ジャパンナレッジ国語大辞典「蛙」の項目より例文をいくつか。
*日本書紀〔720〕応神一九年一〇月(熱田本訓)「夫れ国樔は其の人と為り甚だ淳朴(すなほ)なり。毎に山の菓を取りて食ふ。亦蝦蟆(カヘル)を煮て上(よ)き味と為」
*徒然草〔1331頃〕一〇「烏の群れゐて、池のかへるをとりければ、御覧じかなしませ給ひてなん」
*蛙〔1938〕〈草野心平〉河童と蛙「ぐぶうと一と声。蛙がないた」
それにしても日本書紀の時代、蛙は煮て食べる食材でもあった。それが風情の対象となり、声を愛でられるようになり、そして今疎まれようとされている。
願わくば、心にも暮らしにもゆとりが生まれ「蛙楽」という言葉が生きながらえますように。