福島泰樹短歌絶叫コンサート「大正十二年九月一日」へ
吉祥寺のライブハウス曼荼羅で毎月10日に福島泰樹先生が開催されている短歌絶叫コンサートに行ってきた。
このライブハウスはそんなに広くはないけれど、入るとなぜか安堵を感じる。
まず内装がどこか少しロマネスクの石でできた素朴な教会を思わせるところがあるからだろうか。
周囲の席を見渡せば、早稲田の短歌創作講座やNHK青山カルチャー「人間のバザール浅草」で一緒に受けている方々の優しいお顔があちこちに見えて、さらにリラックスする。
ステージには、華道の池田柊月さんという方がその時のステージのテーマに合わせたお花を献花してくださるのが毎回楽しみ。
空間とそこにいる人間が醸す心地よさが、ステージ開始前から短歌絶叫コンサートにはある。
ステージが始まれば、岸上大作や樺美智子、寺山修司……道半ばにしてこの世を去っていった者たちの言葉が谺する……福島泰樹先生の「残していった言葉がある限り、死者は死んではいない。ここに戻ってくるんだ」の想いに支えられながら。
今回は袴田巌さんのお話や、大逆事件で死刑にされたアナーキストたちの歌、関東大震災で軍隊が活躍したこともあって震災後すぐに戦争へと進んでいった大正と現代を重ねる言葉が心に残った。
危機を鋭く予告、告発するのは、小説よりも、書き手の叫びである詩や短歌の方が適任なのかもしれない……という気もした。
「いい言葉だけを残して死んでいけばいいんだよ」という福島先生の言葉が心に残りつつ、こうして駄文を連ねてしまう。
私の駄文の口直しに以前にも引用したが、短歌絶叫コンサートの締めによく朗読される中原中也「別離」を引用する。
別離
中原中也
1
さよなら、さよなら!
いろいろお世話になりました
いろいろお世話になりましたねえ
いろいろお世話になりました
さよなら、さよなら!
こんなに良いお天気の日に
お別れしてゆくのかと思ふとほんとに辛い
こんなに良いお天気の日に
さよなら、さよなら!
僕、午睡の夢から覚めてみると
みなさん家を空けておいでだつた
あの時を妙に思ひ出します
さよなら、さよなら!
そして明日の今頃は
長の年月見馴れてる
故郷の土をば見てゐるのです
さよなら、さよなら!
あなたはそんなにパラソルを振る
僕にはあんまり眩しいのです
あなたはそんなにパラソルを振る
さよなら、さよなら!
さよなら、さよなら!
2
僕、午睡から覚めてみると、
みなさん、家を空けてをられた
あの時を、妙に、思ひ出します
日向ぼつこをしながらに、
爪摘んだ時のことも思ひ出します、
みんな、みんな、思ひ出します
芝庭のことも、思ひ出します
薄い陽の、物音のない昼下り
あの日、栗を食べたことも、思ひ出します
干された飯櫃がよく乾き
裏山に、烏が呑気に啼いてゐた
あゝ、あのときのこと、あのときのこと……
僕はなんでも思ひ出します
僕はなんでも思ひ出します
でも、わけて思ひ出すことは
わけても思ひ出すことは……
――いいえ、もうもう云へません
決して、それは、云はないでせう
3
忘れがたない、虹と花
忘れがたない、虹と花
虹と花、虹と花
どこにまぎれてゆくのやら
どこにまぎれてゆくのやら
(そんなこと、考へるの馬鹿)
その手、その脣、その唇の、
いつかは、消えてゆくでせう
(霙とおんなじことですよ)
あなたは下を、向いてゐる
向いてゐる、向いてゐる
さも殊勝らしく向いてゐる
いいえ、かういつたからといつて
なにも、怒つてゐるわけではないのです、
怒つてゐるわけではないのです
忘れがたない虹と花、
虹と花、虹と花、
(霙とおんなじことですよ)
4
何か、僕に、食べさして下さい。
何か、僕に、食べさして下さい。
きんとんでもよい、何でもよい、
何か、僕に食べさして下さい!
いいえ、これは、僕の無理だ、
こんなに、野道を歩いてゐながら
野道に、食物、ありはしない。
ありません、ありはしません!
5
向ふに、水車が、見えてゐます、
苔むした、小屋の傍、
ではもう、此処からお帰りなさい、お帰りなさい
僕は一人で、行けます、行けます、
僕は、何を云つてるのでせう
いいえ、僕とて文明人らしく
もつと、他の話も、すれば出来た
いいえ、やつぱり、出来ません出来ません。