丸山健二「千日の瑠璃 終結2」一月二十九日、三十日を読む
ー想像するのが楽しくなる色の語り方ー
一月二十九日は「私は雪道だ」で始まり、三十日は「私は口紅だ」で始まる。二日通づけて対照的な色が出てくるので印象に残る。
ただし「雪道」の方では様々なものを「白い」と表現しているのに対して、「口紅」の方では具体的な色の描写は出てこない。色の表現方法が違うにもかかわらず、どちらも色が浮かんでくる不思議さを感じた。
以下引用文。「私は雪道だ」の二十九日より。「時間」や「父と子の心」のように抽象的なものを白いと表現しているので、どんな時間か、どんな心か想像する楽しさがある。
その重さに耐えられずに折れてしまった無数の枝が
私の上にも無惨に散らばっていて、
しかし
一様なためにさほど見苦しくはなく
どうにか清らかな白を保っており、
辺りに漂う大気も白く
穏やかに流れる時間も白く、
はたまた
私に沿って歩きつづける父と子の心も白い、
(丸山健二「千日の瑠璃 終結2」82ページ)
以下引用文は三十日「私は口紅だ」より。はっきりと色の名前は書かれていないが、「シクラメンの花の色にもよく似合い」「浮いた立場にもぴったりと合っている」「不確定な要素を孕んだ」と表現される口紅の色を想像する楽しさがある。
シクラメンの花の色にもよく似合い
彼女の浮いた立場にもぴったりと合っている
かなり不確定な要素を孕んだ口紅だ。
(丸山健二「千日の瑠璃 終結2」86ページ)
白、口紅の色と出てきたあと、最後は世一の着ている服の色で終わる。「娼婦に成るべくして生まれついた」女を引き寄せるオオルリの色のセーター。最後に世一の、オオルリの力を感じる。
どの色にしても想像するのが楽しくなる書き方だと思った。
娼婦に成るべくして生まれついたような女の目は
不治の病に侵された少年が纏っている衣服の青の素晴らしさに見惚れていた。
(丸山健二「千日の瑠璃 終結2」89ページ)