丸山健二「千日の瑠璃 終結1」を少し読む
ー作者が色濃く投影されている!ー
「私は野良犬だ」で始まる十一月五日は、「明日のことなど考えたこともない 典型的な野良犬」が世一を語る。
作者の理想とする姿が野良犬に投影されているようでもあり、また世一にも作者の想いを見るような気がする箇所である。
以下引用箇所。野良犬が語る自身の姿。「自由の大きさと深さ」という言葉は、自由を大事にしている丸山先生だからこそ、心から発する表現のように思えてならない。
わが自由の大きさと深さを心底から理解してくれているのは
世一ただひとりでしかなく、
少なくとも私の方は
世一の自由の素晴らしさを充分過ぎるほどわかっているつもりだ。
(丸山健二「千日の瑠璃 終結1」143頁)
以下引用箇所。読み手が抱いていた不自由なところのある世一……という姿をくるりと回転させ、考えさせ始める表現である。
彼はまさに人間でありながら
同時に人間以外のすべてでもあって
(丸山健二「千日の瑠璃 終結1」144頁)
以下引用は、この日の最後の部分。
「されど孤にあらず」は丸山先生のエッセイのタイトルだ。世一は、丸山先生自身と宣言する言葉のように思え、作者の世一への深い共感を感じてならない。
子供らしからぬ声で
「されど孤にあらず」と
そう言い放ったのだ。
(丸山健二「千日の瑠璃 終結1」145頁)