丸山健二「トリカブトの花が咲く頃」上巻を少し読む
ー丸山文学の魅力を少し考えたー
ー「トリカブトの花が咲く頃」はどうやら両性具有がテーマの幻想文学でもあるらしいー
丸山文学の魅力を思いつくままに……。
まず普通の作家なら言わないような社会の問題、たとえば現人神の戦争責任について、それをうやむやにしている戦後の社会のいい加減さについて繰り返し厳しく追及している点である。
さらに量子力学への関心から、この世と同じ世が別のところにある(そんな考えが量子力学にはあるらしい)と考え、ドッペルゲンガーも大事なテーマとして繰り返し出てくる不思議な幻想味にある。
丸山文学の場合、ドッペルゲンガーで怖がらせようとするのではなく、かならずもう一つの世界があると強く確信して、もう一つの世界の視点から自分を見つめ、存在を見つめ、書いている点にある。
そして先日のオンラインサロンで丸山先生が文学と美についてこんな風に語られていたと思う(ただし私のうろ覚え)。
「文学の感動は言葉そのものに頼っている。普通の語彙では、取り込めないものである。文学の感動とは一言で言えば『美』である。『美』とは非日常的なものであり、滅多に出会えない作為的秩序であり、そうしたことを自然に感じることが文学の感動になる」
重いテーマを語りながらも、そこに美を求めようと、そのために「美」を支える言葉を見つけようとするところも、丸山文学独自の魅力ではないだろうか。
以下引用箇所は、やはり高原・巡りが原が語っている。
身につけていた衣類を脱いだ娘に、巡りが原が美を感じる箇所から少し抜き出してみた。
このあと、上巻の最後のページで巡りが原は、娘が両性具有であることに気がつく。どうやら「トリカブトの花が咲く頃」は、両性具有をテーマにした幻想文学でもあるようだ……。
今
そこに在る
生きた美が
胸に響く忠告のように
私を捉えて放さない
彼女はひたすら美しく
存在そのものが明敏で聡明な光輝につつまれている
野草愛好家たちのあいだで口碑の的と化している
トリカブトの変種としての白花さえも
彼女の肌の白さにはおよびもつかない
癒し効果にあふれた深みといい
天の川銀河を凌ぐほどのきらめきの度合いといい
きめ細かに秩序づけられた並々ならぬ吸引力の強さといい
それは
ただそこの一点に究極の美が集中したかのような光輝にあふれ
あらゆる種類の緊張が解かれたうえで
さらに新たな緊張が生みだされ
すべての美意識が廃棄されたうえで
さらに新たな美意識が誕生しつづけているのだ
(丸山健二「トリカブトの花が咲く頃」上巻451頁)