丸山健二「トリカブトの花が咲く頃」下巻を少し読む
ー刹那の美、発見!ー
醜いこの世をコテンパンに描く丸山文学だけれども、それでも読み手が倦むことなく読み続けるのは、言葉と言葉が刹那の美を喚起してくるからであり、悲劇的な状況でも視線が未来を追いかけているからのような気がする。
「トリカブトの花が咲く頃」に出てくる自然は、巡りが原にしても、黒牛にしても、それぞれ象徴するものがあるように思う。
なかでも黒牛の角にとまっている逸れ鳥は、丸山文学の魅力である「刹那の美」「未来」を象徴しているようで心に残る。
以下、逸れ鳥が出てくる引用箇所。
他方
日々を織りなす現実になんの不都合も感じず
およそ頓挫というものを知らぬように思えてしまう
あたかも富裕な門閥のごとき
はたまた抑圧者の権勢のごとき
傲岸不遜な雰囲気を具えた
韜晦趣味が似合いそうな
そのくせ喧嘩早そうな逸れ鳥はというと
相変わらず陽気に過ぎる歌を朗唱し
疑問の余地なき自明の理としての自由を讃歌し
なおかつ
生まれゆく世界と死にゆく世界のあわいに存し
まさに消えんとする今現在そのものの明確な意図をどこまでも絶賛し
太初以来連綿としてつづく過去にはいささかも拘泥せず
未来にたいしてはあり余るほどの秋波を送る
(丸山健二「トリカブトの花が咲く頃」306頁〜307頁)