丸山健二『千日の瑠璃 終結3』七月二十八日を読む
ー抽象的なものを語り手にする効果ー
七月二十八日は「私は救済だ」で始まる。世一の飼い鳥のオオルリが「神に入るさえずりの妙技で遠回しに示す かなりの気高さを秘めた」救済が語る。
以下引用文。救済が叫べど、まほろ町の人々の反応は冷ややか。
「救済」という抽象的なものを語り手にすると、作者の素顔がストレートに出てくる感じがした。
他の人の視点に降り立って、その人の一人称で語るときは作者はあまり見えないものだけれど。
作者自身の考えをストレートに、でも若干弱めて伝えるには「救済」という抽象的な語り手もいいのかもしれない……などと考えた。
けれども
そうしたかれらのそうした冷ややかな反応こそが
実は私が最もこいねがうところのものであり、
ひっきょう
私の詭弁に酔い痴れ
私が授けるお情けにすがっているあいだは
ぐずぐずになった精神世界が救われることなど
絶対にあり得ない話で、
かれらを救えるのは
かれら自身を措いておらず、
神仏なんぞは論外であって
頼ったその段階で
魂は即死を迎えてしまう。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結3』5頁)