丸山健二「トリカブトの花が咲く頃」下巻を少し読む
ー絶望的な人の世と対極的な自然、宇宙ー
丸山文学は冷徹に容赦なく人の世を語ってくれる。
ふだんぼんやりと思っていた怒りや不安をずばりと言葉にしてもらい、その通りだとあらためて気がつく。
一方で、あまりに救いがない世である事実に途方にくれる。
だが丸山文学は人の世について糾弾しながらも、私達の視線を自然界へと誘い、地球の外へと向かわせようとする。
もしかしたらこの島国ごと消えてしまうのではないだろうか……という気もしてくる昨今の状況である。
だが人が消えても宇宙の彼方に静かに存在する恒星があるという事実に思いを向けてくれる丸山文学は、ある種の救いでもある。
以下、二つの引用箇所は高原・巡りが原が太陽について語る箇所。太陽の存在が、まるで人のようにも思えてくる。
ストーリーは、また娘に襲いかかろうとした僧の成れの果ての青年を、黒牛が角で宙に飛ばして娘を助けるというように進行していく。
そして
燦々と照り映える陽光が
天から見放された土地であるかのような「巡りが原」にまことに優雅な甘美さをさずけ
想定外の奇異な事態の真上にでんと居座るこの恒星は
今の今まで無責任な傍観者に徹していたくせに
事ここにいたって太陽という絶対者の立場をあらためて思い出したのか
急に無関心ではいられなくなり
才気煥発な存在者を気取っていきなり口を開き
罪に継ぐ罰という因果律の定番でも念頭においてるのか
迂遠な心理であっても簡単に喝破しそうな
画定がきわめて困難なはずの識閾を自由自在に出入りできそうな
そんないかにも偉そうな言い回しで
思慮分別に富んだ
定義可能な生き方について声高に語るのだ
(丸山健二「トリカブトの花が咲く頃」下巻94、95頁)
いずれにしても
無為無策にして無定見の
野次馬根性まるだしの太陽の世迷い言にいちいち耳をそばだてる酔狂者は私しかおらず
(丸山健二「トリカブトの花が咲く頃」下巻99頁)