丸山健二「千日の瑠璃 終結2」一月十一日を読む
ー「暖炉」が象徴する様々なものー
一月十二日は「私は薪ストーヴだ」と、世一の姉が好きになったストーヴ作りの職人に注文して完成した薪ストーヴが語る。
世一の家へと向かう坂道を「古い毛布をあてがった製作者の背中に 登山用のロープでしっかりと括りつけられ」運ばれてゆく薪ストーヴの言葉を読んでいると、このストーヴが象徴しているのはゆらゆら揺れる炎さながら「世間一般の声」であり、「青年」「世一の姉」それぞれの愚かしく哀しいまでの生き方であるような気もしてきた。
以下引用文。薪ストーヴの声は世間の声にも思えてくる。
ついでに
隙あらば彼の将来をも併せて押し潰そうと企み、
あげくに
「こんな女はやめておけ」と忠告し、
それから
「結局は前の女のときと同じことだぞ」と脅かしつけてやる。
(丸山健二「千日の瑠璃 終結2」51ページ)
以下引用文。青年が背負う薪ストーヴの重みは、これから背負うことになる世一の姉の重みでもある。
男はまったく動じず、
恐ろしく滑り易い急坂を一歩一歩着実に突き進む彼自身は
再度の失敗をまったく想定しておらず、
私のみならず
すでに長いこと暗欝のなかに生きてきた
ために
その反動としての幸福に期待し過ぎる
そんな女までをも背負うつもりだ。
(丸山健二「千日の瑠璃 終結2」52ページ)
以下引用文。世一の姉の青年への思いは、ストーヴの炎にうっとりと見とれる人のものでもある。
片や女はというと
烟突のみならず
ふらつきながら自分の前を行く男の
なんだか胡散臭い半生を
ときめきに惑わされて
まるごと抱えこもうとしている。
薪ストーヴというものに、様々な立場を反映させているようで面白く読んだ。それにしても薪ストーヴを背負って坂道を登るとはすごい。