丸山健二「千日の瑠璃 終結3」四月二十五日を読む
ー世一という不条理ー
四月二十五日は「私はエプロンだ」で始まる。「母親の立場にようやく慣れてきた女の」エプロンが語る。
以下引用文。母親のエプロンをつかむ幼い双子たちがそっくりであることに、世一は興味をいだき「嬉々としてなおも迫ってくる」
そうした世一に幼い双子たちが感じる「この世にあることの不条理」……そうした不条理を冷静に、目を逸らすことなく見つめるところが、丸山作品の魅力のひとつかもしれない。
生まれて初めてそうした異形の同類を目の当たりにした
ほとんど瓜ふたつの一卵性双生児は
たじろぎ
怯えて
萎縮し、
それから
なんとも形容しがたい複雑な気持ちのなかで
この世に在ることの不条理を
早くも体験したのだ。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結3』27ページ)
以下引用文。最初、世一に優しい対応をしていた母親も、そのうち目で追い払うようになり、やがて世一が自分のエプロンで青鼻をかんでいることに気がつくと、「怒り心頭に発して少年を思いきり突き飛ばし」てしまう。
そんな母親の激変を目にした双子たちも、「純なる瞳をたちまち濁らせてゆく」……という終わり方に、人間の心がいかに折れやすいか、その変化が子供達にどう影響してゆくか……丸山先生は客観的に書きながら、そうした人間に哀しみを感じているようにも思えた。
そんな挙に出た彼女に仰天した双子は
あまりのことに泣き叫ぶことを忘れ、
茫然自失の体へと移行したかと思うと
その純なる瞳をたちまち濁らせてゆく。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結3』29ページ)