丸山健二『千日の瑠璃 終結3』五月十七日を読む
ー世一という存在にある美ー
五月十六日は「私はリコーダーだ」で始まる。下校中の小学生が吹き鳴らすリコーダーにも「この先ずっと彼を救うことになるやもしれぬ 癒しの調べ」と随分言葉を尽くして語っている。
だが以下引用文。世一が吹き鳴らす口笛には、そうしたリコーダーの音色の描写を凌駕するものがある……。「無意味な痙攣は 魂そのものの振動」という箇所に、丸山先生が不自由な体の世一の魂にこそ美の存在を見い出しているんだという気力を感じた。
見るからに危なっかしい足取りで
平然と街道を横切って行く
病児が吹く口笛には到底敵わない。
要するにその口笛には
いかにへたくそであっても
至高の生の精髄が込められており、
全身の無意味な痙攣は
魂そのものの震動を鮮やかに表象しているのだ。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結3』