丸山健二「千日の瑠璃」十月二十四日を終結版、ネット版で読み比べる
ーネット版では世一の存在感がアップしている気がするー
「千日の瑠璃」は最初1992年に刊行。
2021年に丸山先生がご自分で立ち上げたいぬわし書房からかなり書き改めた形で「終結」として文庫で刊行。
今回ネットバージョンにさらに書き直されnoteで有料公開されている。note版は横書きになったというだけではない。「終結」版と比べながら読むと、丸山先生が書き直した箇所には文を深く、立体的にするコツが詰まっているように思う。
十月二十四日「私はハングライダーだ」で始まる箇所から一部分を見比べてみる。
以下引用文。ハングライダーがいくら憧れたところで鳥にはなれない現実を世一に言い聞かせた後に続く文である。
どちらも同じ箇所だが、背景が緑の箇所は終結版である。
ところが
私から離れようとしない羨望の塊は
まったく耳を貸さない。
(丸山健二「千日の瑠璃 終結」96ページ)
以下、背景が水色の箇所は一番新しいネット版である。
ところが
そんな私から離れようとしない羨望に彩られた純なる魂は聞く耳を持たないのです。
丸山健二「千日の瑠璃 ネット版」
世一という体も頭も不自由なところはありながら不思議な魅力をもつ少年を語るのに、「羨望の塊」とだけ語るより、「羨望に彩られた純なる魂」とした方が、世一の魅力がアップする感がある。
さらに「まったく耳を貸さない」だと確かに老人が「耳を貸さない」イメージとも重なってしまうが、「聞く耳を持たないのです」だと子供らしさが出てくる気がする。
いぬわし文庫版、ネット版と見比べて読み、変更のあった箇所を考えてみれば、日本語を深くするコツが少し見えてくる気がする。