さりはま書房徒然日誌2026年5月3日(日)

丸山健二『千日の瑠璃 終結8』より十月三日「私は独楽だ」を読む

以下引用文。

独楽が「私に甦生の息吹の回転を与え 私と共に〈永遠〉を踊る若者」に向って語る。

「踊りつづける」映像が独楽のイメージと重なって、より強く心に響く。

でも東京の家賃が高くなりすぎたせいで、エッセンシャルワーカーの若者が続々と地方に戻る……という話を聞く昨今である。

『千日の瑠璃』が最初に書かれた1992年、地方から上京した若者は「踊りつづける」ことが出来た。

でも2026年の今では……と、時代の変遷をも思う。

そして
   踊りつづける人生を本気で願うのなら
      猟奇的な殺人事件がひっきりなしに頻発し
         義務の受諾を大ぴっらに拒むことだって不可能ではない
            幾つもの川の合流点にある
               あの大都市に行くがいい、

ひっきょう
   踊りまくる日々は
      よそ者のみに許される特権なのだ。


( 丸山健二『千日の瑠璃 終結8』133ページ)

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さりはま書房徒然日誌2026年5月1日(金)

製本応用講座「自作長編を丸背革装にする」

昨日、中板橋の手製本工房まるみず組へ。

革でくるんだ表紙に菜の花をモザイクしていく作業に入る。

まずは下書きのイラストを眺めながら、ポンチで革を丸く抜いてゆく。

下敷きの台の上に革を置き、ポンチを拍子木で叩いて革を丸くくり抜いてゆく。

革の雰囲気だけで満足できるような、ここにセンスのない私の絵を散らしていいのやら……迷ったのだが。

ポンチの大きさを変え、革の色を変え、くり抜いた丸たち。

とりあえず革の上に並べて仮置き、様子を見る。

何となく菜の花に見えなくもない。

葉っぱと茎は花が終わってからの予定。

トントン拍子木でポンチを叩くうち、うっかり下敷きの外で叩いたり。注意力散漫を反省。

今度は表紙の革をポンチで叩き、革をくり抜き、その下のボール紙も軽く剥がす。

丸くくり抜いた黄色い革の形を整えてボンドをつけ、その穴に嵌める。

出っ張っていると引っかかって取れることもあるそうなので、少し凹み気味にしたいが上手くいかないのが私らしい。

表紙のポンチ作業を繰り返してゆくうちに、振動で仮置きの菜の花がどんどん崩れてゆく。

この丸はどこに?と思案。結局、一番下の二つの花をはめ込んだところで終わる。

作業の合間、先生が色々興味深い本を見せてくださる。

↑こちらは和紙研究で有名な外国の方が実際に各地の紙漉き場をまわって、まとめた本とのこと。

すごく細かく文が英語で書かれて、図解もたっぷり。見応えのある本である。

こちらはZINEの作り方が丁寧に、分かりやすく書かれた本。

終わったら外はもう夜だった。

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さりはま書房徒然日誌2026年4月29日(水)

丸山健二『千日の瑠璃 終結8』より十月一日「私は水泳だ」を読む

大規模工事のせいで客のいない「うたかた湖」で「あまりにもへたくそな水泳」をする世一。

その動きを語る言葉に、丸山文学の読者は「自分の心も読んでいる作品ごと、どこかに連れて行ってもらえるかも」と期待してしまうのかもしれない。

さりげない言葉ながら、丸山作品の魅力を語っているように思う。

意思に関係ない動きは
   前進と後進をくり返しながら
      ともあれ確実にどこでもいいどこかへと向かっており、

(丸山健二『千日の瑠璃 終結8』124ページ)

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さりはま書房徒然日誌2026年4月28日(火)

手製本応用講座「パッセカルトン13回」&「自作長編を丸背革装にする」

4月25日(土)は中板橋の手製本工房まるみず組へ。
次の日、月光歌会があったりで、日誌のアップが遅れてしまった。

パッセカルトン13回

三冊の糸かがりの本を解体。

バラバラにしたページをプレス、生まれた時の状態に戻す。

そのあとページ中央の糸かがり跡に極薄和紙の短冊を貼ってプレス。張り付き具合を確認しつつ、はみ出ている和紙をハサミで切る。←今ここ。

貼る……という作業がとても難しい。翌週確認すると、端の方が剥がれていたりする。

先生が溶いたケイコー糊の状況を調べるも悪くはない。

テフロンヘラでゴリゴリするのが足りない……ということになり、ゴリゴリしたら和紙がビリビリちぎれてゆく。

不器用者には加減が難しい。

「自作長編を丸背革装にする」

箔押し屋さんにタイトルの箔押しをお願いしていた表紙が帰ってきた。

箔押し屋さんも布装への箔押しをしている所、革装がメインの所と別れているそうだ。
それだけ職人さんの感覚が必要なのだろう。

金の箔にするか銀の箔にするか迷い、青革は金の箔、白革は金箔パターン、銀箔パターンの二通りでお願いすることにした。

同じでなくていい、それぞれ違っていていいのが、手製本の長所。

裏返して、革とボール紙の段差を埋めるべく紙を貼ってゆく。

革に紙がのっかると外見に響くので、重なっている部分の革をカットする。

隙間は気にしなくていいそうだ。

表紙の用意終了!

方眼紙に表紙デコのデザインを描いてゆく。

意味不明な私のデザインをみて、先生が優しく菜の花らしく革をデコるデザイン例をささっと描いてくださる。

「茎部分は緑の革の紐を使えば」と色々アイディアを教えてくださる。

果たして私がやればどうなるのだろうか?

まだ本文と表紙の合体はしていないけど、とりあえず表紙にくるんで道具箱にしまう。

手製本はひとつひとつ丁寧に作業をしていくから時間はかかるもの。

本とは大量生産されるものではなかったのだなあと思いつつ、本日の作業を終える。

石神井川の桜は葉っぱがわさわさしていた。

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さりはま書房徒然日誌2026年4月23日(水)

名塩和紙の紙漉き体験

文楽を観るため大阪にはよく行く。

ふと大阪には紙の店が多いことに気がついた。

当たり前かもしれないが京都にも和紙の店が多い。学校帰りに立ち寄った記憶があったり、和紙の店が日常に溶け込んでいる人もいることに気がついた。

やはり東とは違う。

これだけ紙屋があるなら、和紙の紙漉きが出来るところもあるのでは……と探してみた。

紙漉きできるところを次々発見。

和紙について知識もないまま「ここなら車がなくても行けそう!大阪から一時間以内だ」と安易に選んだのが名塩(なじお)和紙の谷徳製紙所。

それが実に長い歴史のある、素晴らしい特徴のある製紙所だった。

名塩千軒とも言われたほど栄えていた

名塩和紙の起源は室町時代。

越前和紙に学んだ人が名塩に持ち帰ったものらしい。

江戸時代は「名塩千軒」と言われるほど紙漉きが盛んな地域だったが、昭和初期で70軒に減り、現在では2軒しか残っていないそうだ。

そんな歴史の名残で、最寄の西宮名塩駅前にある西宮市立北部図書館には、和紙関係書籍の棚がある。

かなり古そうな、今では古書でも見かけないような本もあった。

「手漉和紙精髄」という箱入りの、各地の美しい和紙のサンプルが貼られたずっしり重い大型本もあった。

この棚だけで数日楽しめると思う。

そんな歴史ももう忘れ去られているのだろうか?

目指す谷徳製紙所付近で場所を地元の人に尋ねても、「製紙所?」と怪訝そうな顔。

地図からするとここだ、でも看板がない。勝手に中に入って、違っていたらどうしようと電話する。

やはりここだった。

谷徳製紙所のすごいところ

谷徳製紙所は、中々入手し難い雁皮を材料にしている。

さらに名塩特産の、神戸層群第二凝灰岩という岩石の微粒子から四種類の泥(白、青、黄、茶)をつくって、雁皮に混ぜ込むそうだ。

泥を混ぜ込むことで、虫害を受けにくい、ネズミの害も受けにくい、日焼けや褐色も防ぐ、熱や耐火性に優れるそうだ。

そういえば、まるみずのレッスンで先生がそんな和紙があることを言われていた。
これがそうなのか……

最後、八十年前の和紙を購入したが、全然古くなっていない……

ちなみに泥の色はこんな感じ。お土産に買った封筒セット。国産雁皮100パーセントだからツルツルした感じ。


谷徳製紙所の先代、故・谷野武惟氏は人間国宝。

製紙家の家に生まれ、14歳から紙漉きを始めた。

ビデオを視聴していたら、谷野武惟氏は紙漉きで使う簀を、近所の呉竹を使って自分で作られていたとのこと。すごい情熱である。

その先代から技術を受け継いだ谷野氏に直接、紙漉きを教えて頂いた。

いざ紙漉きへ


これが雁皮(ガンピ)。

栽培できないし、成長が遅いし……なので高価。あまり見かけない。

雁皮は六甲山のものが質が良いとのこと。

そんな雁皮を先代は生涯かかっても使いきれないほどストックされたそうだ。すごい。

外側を剥き、内側の一番外だけを剥がしてゆく。

そのあと水につけ、煮て、ゴミやチリをとり……気の遠くなる作業。

しかも苛性ソーダだと傷むから、ソーダ灰(?)を使うというこだわり。

雁皮を煮たものにノリウツギを混ぜて練ったものをたっぷり大きなバケツに用意してくださっていた。

なんて贅沢な体験!

「鳥の卵のような色、鳥の子の色をしているでしょ?」との言葉に、鳥の子和紙の語源はここからでは?と思ったり。

雁皮の液をこちらに入れて、よく混ぜて下さる。

材料の性質ゆえ……という説明だったかと思うが、こたらではチャプチャプ揺らす流し漉きではなく、揺らさずに持ち上げて液体が切れるのを待つ溜め漉きである。

今度はミツマタに泥を加えた液で紙漉きにトライ。

東大寺二月堂お水取りのお札もこの液でつくるそうだ。

だんだん色々出来てゆく。

ただ雁皮は鉄板で乾かすことが出来ないため自然乾燥を待たないといけないとのこと。

夏場、混ぜる材料にはノリウツギではなくビナンカズラを使うそうだ。↓

山水が引いてあった。水道水だと材料が混ざらないとのこと。

このあと名塩和紙についてのビデオを視聴。

あらためて和紙は地元の山水、鉱石、雁皮や呉竹、ノリウツギやビナンカズラなど、その土地ならではの自然が生かされて出来るのだなあと知る。

だから和紙に触れていると優しい気持ちになるのだろうか?

紙漉き体験をしながらのおぼろな記憶のため記憶違いがあるかもしれない。

名塩には和紙の資料館もあるし、図書館にも和紙関係の本がある。

正確な知識はそちらで。

もし興味をもって谷徳製紙所さんに行かれる方がいれば、事前に予約をされますように。

色々と親切に貴重な体験をさせてくださいました谷徳製紙所さんに感謝です。

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さりはま書房徒然日誌2026年4月21日

パッセカルトン12回&製本応用講座「自作長編を丸背にする」

4月18日のことになるが、中板橋の手製本工房まるみず組へ。
パッセカルトン➕製本応用講座ダブルの予定がキリのいいところまで終わらず夜9時までのトリプル講座になった。

最後まで「慌てなくて大丈夫ですよ」と優しく対応して下さった先生に感謝。

まず最初の製本計算ドリルからして、全問間違えてアタフタ。
先生に「図を描いて、もう一度考えて」と言われてやり直すと、私の答えではおかしい。
図に描いてみること大事と思い知る。

パッセカルトン12回

前回と同じ作業を黙々と繰り返す。

バラしてプレスした本のページ中央に補強の薄い和紙を貼っていく。

三冊同時進行でやるのだが、私の場合、同じ本で三冊。

だんだん組み立てたときにちゃんと揃っているだろうか……と不安になりつつも、まあ多分大丈夫でしょうと楽観的に。

製本応用講座「自作長編を丸背にする」

今日こそは箔押し所に出せる状態にして帰ろう!と思うも、勉強不足でよく手順が見えていためモタモタ。

革だけ切り出して預ければ……と思っていたら、そうではないらしい。

本の形に合わせて切り出したボール紙に革をくるんでお願いするか、それとも自分で位置を測定してお願いするか。

ボール紙に包んでお願いすることに。

丸背の幅を測るのも難しい。方眼紙をあてて印をして測定。

は丈夫なので、革の裏側にボールペンでボール紙の位置を記す。

革の四隅と背の上をカット。

この後、手術用メスでこの部分を薄く削いでゆく。

削いでおかないと、ボール紙を包むときモッコリしてしまう。

この後は焦って写真を撮る余裕もなかったが、四隅は爪先でつまんでギャザーを寄せる。

このギャザー寄せが出来ない製本会社が多いのでは、と思う。
私が持っている革装の本を見ても、紙みたいに薄く革を漉くことで隅のモッコリを避けている。
でも、これだとせっかくの革の雰囲気がだいぶ失われてしまう。

革の表部分。

今回、白と青の二色。

箔押し文字を入れるタイトル、その位置、フォントの大きさ、箔の色の指示書を先生と相談しつつ仕上げる。

箔の色、銀にしようか金にしようか迷い、結局、一つは金、一つは銀にすることに。

全部同じでなくていいのが手製本のいいところ。

工房を出たら九時を過ぎていた。遅くまで優しくご指導くださった先生に感謝。

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さりはま書房徒然日誌2026年4月17日(金)

丸山健二『千日の瑠璃 終結8』より九月三十日「私は気遣いだ」を読む

「日々悪事を重ねる長身痩躯の青年と 何も求めずに生きることに決めた『三光鳥』の女将の 少年世一に対する気遣い」が語る。

この二人にさらに世一の父親の相手をしてきた娼婦が加わって、世一の噂をしているところに、当の世一の口笛が聞こえてくる。

不自由なはずの世一の意義とは? あらためて、その意義を考える文。

ややあって
   少年世一の口笛が急接近し、

それは湖面を渡る風に吹かれて
   散り散りに飛ばされ、

その断片が「三光鳥」にも届いて
   三人の口を封じ

      三つの心に抗いがたい揺さぶりを掛けた。

(丸山健二『千日の瑠璃 終結8』121ページ)

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さりはま書房徒然日誌2026年4月12日(日)

製本応用講座「自作長編を丸背上製本にする」

昨日は中板橋の手製本工房まるみず組へ。

表紙用の革の切り出しをして箔屋さんに預けるところまでいくかな……と革を持参したが、その一歩手前で終了。


手製本はとにかく時間と手間がかかるもの、と実感。
でも、だからいいのだとも。

昨日のレッスン前の製本計算ドリル、久しぶりに計算問題が出てきた。

ここで簡単な計算で間違えたり、そもそも問題の数字を正しく読みとれてなかったり(老眼は悲しい)とバタバタする。

今日も作業台は満員御礼。
イギリスのご夫婦、アメリカの女の子の間で作業する。

まずは寒冷紗を背中に貼って余分部分を切り落とす。

丸背のきわは指先でぐりぐりなぞる。

花布つけて(丸背のせいか、ついたと思えど何度も落下してしまう)

天地を間違えないように確認して栞ひもつけて(以前、間違えたことがあった)

茶色の部分は「クータ」と呼ばれる紙筒。

クラフトペーパーとかで背幅部分に合わせて筒をつけて背中にペタリ。

「クータ」は、機械製本ではあまり付けられていないようだけど、本にかかる力をクータが分散して背割れを防止する……そんな縁の下の力持ち。

本の平部分の茶色は適当な紙で本体をギュッと締めるウースという物。これも表紙と合体するため、安全のためつけておいた方がいいらしい。

背が完成!と思うも、先生からきちんと接着されていない部分をあちこち指摘される。
そういう部分から、本はへたっていくらしい。
また接着しているうちに時間は経過。

機械製本のおかげで大量に本が行き渡るようになったのはよいことだけれど。

でも元々本は大量生産、効率とは縁のないところで、時間をかけて作られて、限られた人に大切にされてきたものなのだなあ……と、手製本のおかげで学んだように思う。

中板橋、石神井川の桜はすっかり葉桜になっていた。

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さりはま書房徒然日誌2026年4月10日(金)

製本応用講座「自作長編を丸背にする」&パッセカルトン11回

中板橋の手製本工房まるみず組へ。

まるみず組の春休み明けということもあり、何かを始めたい4月ということもあり、1日体験の参加者も多くいらして賑やか。

私のいた作業台には、若い女性二人が初めての和綴じ本作りに。
お若い男性が初めての角背上製本作りに。
外国の方が思い出の本をリメイクされたり……色々トライされてた。


私もやった筈の作業なのに、先生が教えていらっしゃる様子を見ると「ああ、そうか!」と思い出したり、初めて気がついたりすることしばしば。

同時進行していく他の方の色んな作業を眺め思い出したり、確認したりできるのが、まるみず組ならではの面白さ……だと思う。

パッセカルトン11回

バラした本の中央に極薄和紙の細長い短冊を貼っていく。

前回よくくっついていないことに気がついたので、今回、糊の濃度を濃くしてみた。

するとダマになって和紙がボロボロちぎれていく。
先生に訊いたら、やはり濃すぎるとのこと。


薄めた和紙をたっぷり塗りつけると、今度は途中でビリビリ切れてゆく。

適量を塗って、テフロンヘラでしっかり、でも優しく擦る、しかないようである。

ちなみに図書館で修復される場合、こうした作業もあるらしい。時間がかかるし、とても大変。
そんな図書館、もっと大切にしたいもの、と思う。

製本応用講座「自作長編を丸背上製本にする」

今日は背中部分の作業。

軸糸をパッツンと切って短くする。

見返しに響かないように糸をほぐす。

理想はタンポポの綿毛。

でも、がんばれど私のは海中のワカメ状態だ。なぜ?

何回もやっている作業なのに、私はうまく出来ない、なぜ?

そこでまるみずの先生の一言アドバイス。

「根本からほぐしましょう」

私は押し倒してカリカリほぐしていたが、先生はたてたまま根元からほぐし、途中で指先でほぐす。

するとフワフワのタンポポの綿毛になった!

タンポポの綿毛状態でないと、見返しを貼ったときモッコリして見てくれが不細工になってしまう、とのこと。

無事にほぐし終わって一息つくも、ない!前回作った筈の花布がない!

しっかり本と一緒にビニール袋に入れた筈なのに!

ない!ない!とあたふたしていたら、まるみずの優しい先生が一緒に探してくださる。

あった!次々と先生が見つけてくださる。

本を袋から出した時にうっかり落としたのだろう。

床に盛大に散らばっていた。

小物は小物だけで袋に入れなくては……と反省。

表紙に使う革の箔押しについて先生と相談。表紙が見えてきた!

中板橋の桜も葉桜に。もう今日の風で散ってしまっただろうか。

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さりはま書房徒然日誌2026年4月8日(水)

丸山健二『千日の瑠璃 終結8』より九月二十九日「私は屈託だ」を読む

『千日の瑠璃』の面白いところは、世一の物語を語っているようでいながら、色々な世界がさりげなく語られていること。

「私は屈託だ」には丸山先生の姿が色濃く滲んでいる。

「自者と他者を交互にじろじろ見つめる」という姿は丸山先生そのものだ。

「文学を生業」「気を入れた仕事」というあたりは、今、文を書いている人ととは意識が違うのかもしれない。他の作家さんの話を聞いてもそう感じる。

私にとって文学は、青空に向かって夢中になって飛ばすシャボン玉的存在……なのかもしれない。
文学はお金にならず、職業にもならず、でもシャボン玉のように美しく世界を映して消えるからいい……気がする。

文学を生業として
   それなりに気を入れた仕事をつづける男の
      自己と他者を交互にじろじろ見つめる日々への
         なんとも執拗な屈託だ。

‘(丸山健二『千日の瑠璃 終結8』114ページ)

以下引用分。
こうした書き手、読み手への容赦ない文も、反発される原因の一つだろうが、丸山先生らしい言葉である。

そのご面相では一生費やしても手に入りそうにない
   夢と憧れの恋愛でも書いて
      現実を理解したがらない
         屈折し過ぎた臆病な読者と共に
            お伽話の世界に浸るがいい。

‘(丸山健二『千日の瑠璃 終結8』116ページ)

それよりも、もっと丸山先生らしいのは以下の文。

この哀しみと生と死の危ういコントラストが、一番丸山先生らしい気がする。

どんなに生きても得体の知れぬおのれの影を追い求めて、

動的な生命と静的な生命
   悲しい行為と喜ばしい行為
      そして
         生と死の狭間を縫って突き進み


‘(丸山健二『千日の瑠璃 終結8』117ページ)

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