さりはま書房徒然日誌2026年2月14日(土)

製本応用講座ー改装本の完成ー

少し前になるが2月12日(木)、中板橋の手製本工房まるみず組へ。

改装本にした歌集に函を作る。

基礎講座のときも函は作っているけれど、応用講座になって先生のチェックはより厳しくなる。

何度もチェツクをされては「0.5ミリ分はみ出しているから、0.5ミリカットして」と教えてくださる。

最終的にピッタリの高さにするコツやら教えて頂く。

中々くっついてくれないのでマスキングテープでしばらく押さえる。

シワができないようにノリボンドを塗る方法、接着した紙をピッタリくっつける方法やら教えて頂く。

歌集「赤色(セキショク)」の改装本と函が完成。

函は本当にピッタリサイズになった!

函の表側も内側も赤。

本の表紙は赤い革。

花布も赤。

真っ赤な本が完成!

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さりはま書房徒然日誌2026年2月12日(木)

丸山健二『千日の瑠璃 終結8』より九月十三日「私は拡声器だ」を読む

リゾート開発推進派、反対派が町長選をめぐって罵り合い、「美しい郷土が廃墟と化してもいいのかと がなり立てて止まぬ」旧式のスピーカーが語る。

反対派の青年は、非難するうちに世一が大切に飼っている、でも本当は飼ってはいけない野鳥オオルリのことまでおおっぴらに非難する。

自然保護活動に励む正義の一団が、世一にとって大切な友であるオオルリの存在を非難するという、もっともなんだけどやり切れない人の世。

そんな矛盾を見つめる視線が丸山文学の魅力のひとつなんだと思う。

次にマイクを持った若者
   つまり
      反対派の筆頭の元大学教授の見解に同ずる
         胸に青い鳥のバッジをつけたよそ者が
            推進派に属する人々を
               いちいち名指しして容赦なくあげつらい、

かれらは馴れ合って善人を騙す
   我利我利亡者の権化にほかならず
      人間の風上にも置けぬゲスどもであると
         そう断じてしまう。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結8』51ページ)

そんな騒ぎの中にいても、世一は気がつくでもない。
そんな世一は、勝手な自然保護にかられた一団とは違って、純な魂を見せてくれている気がする。

しかしその少年は
   オオルリという一語のみに反応しただけで
      それ以上のことに理解が及ばず、

従って
   事の重大さに気づくまでには至らない。


((丸山健二『千日の瑠璃 終結8』53ページ)

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さりはま書房徒然日誌2026年2月5日(木)

製本応用講座&パッセカルトン4回

製本応用講座 改装本

応用講座とパッセカルトン講座、この二つを受けてきた。

製本計算ドリルもちゃんと二枚分用意されている。

「カットすると何枚になるか」という単位に「才」なんてものが、あるのを初めて知った。

計算ドリル、たくさん間違えるも、計算するし、手先は使うし、手製本は老化防止にもいいかもしれない。

箔屋さんにお願いした箔押しが出来上がってきた。少し赤みを帯びた金が、赤い革に映えて素敵。

「箔がつく」という言葉を体感した気がする。箔があると、すごく存在感が増す気がする。

糸でかがった本体と革表紙を合体。

適当な紙を巻きつけて整える(ウースをかける、と言う)

函の内側部分に紙を貼り、切り出したところで今日はおしまい。

函の組み立てはゆっくり次回に。

私の場合、焦ると必ずミスをするからゆっくりモード。

パッセカルトン4回

前回までにバラした三冊の本の折丁をひろげ、テフロンヘラで折り目を伸ばしてゆく。


ガサッとしている箇所はボンドが残っているので、爪先やカッターの背でこそげ落とす。

時間がかかる作業で二時間かけても一冊しか終わらない。

でも合間に先生が束見本(本を印刷製本に出す前に、中身は白紙の状態で試しに作る本。サイズ感を確認したりするそうだ)を見せてくださる。

色々束見本について教えてくださる。

初めて束見本というものを見た。

知らないことを教えて頂いて、あっという間の二時間だった。

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さりはま書房徒然日誌2026 年2月4日

丸山健二『千日の瑠璃 終結8』より九月十二日「私は対面だ」を読む

まほろ町の別荘地に狂女の娘を追いやった両親と娘の久しぶりの対面が語る。

以下引用文。早々と娘の元を立ち去る両親。そしてそこに通りかかる世一。

丸山先生は小学校時代、理由もなく特殊学級で過ごされたせいだろうか。

弱い者を見捨てる強者の薄情、弱い者のつながりの強さへの思い……が、この世を見つめ小説を書いている原動力の一つなのだなあと思う。

それどころか
   田舎町をすっぽりと包みこむ夜に
      普通に育たなかったわが子が呑みこまれ
         溶けて消えてしまうことさえも本気で願いつつ
 
           次第にクルマの速度を上げ、

(丸山健二『千日の瑠璃 終結8』48ページ)

ところが
   その少年のけらけらという
      遠くまで届く笑声を聞き慣れている狂女のほうは
         むしろ深い安らぎを覚えて
            私の余韻に涙を擦りつけることをやめ
               歓迎の意味を込めて
                  手を振る相手を素早く取り替える。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結8』49ページ)

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さりはま書房徒然日誌2026年2月3日(火)

丸山健二『千日の瑠璃 終結8』より九月十一日(火)「私は夜だ」を読む

まほろ町「全体をすっぽりと覆い尽くす 寂寥たる夜」が語る。

以下引用文。夜は丸山先生の見つめるこの世の厳しい姿にも思え、そして少年世一は理想とする人間の在り方なのだなあと思う。

それから私は
   卑金属と貴金属のいかんともしがたい隔たりを
      闇の力をもって一挙に縮め、

夏の風と秋の葉の境目を
   ふとした拍子に鮮明にし、

なお生きつづける水と
   あとはもう死ぬしかない水とを明確に分ける。



されど
   光と闇を隔てなく縫って進み
      意識することなく愛の断片をばら撒き
         この世に対して繊細な観察を加え
            どこまでもおのれの取り決めに従って生き
               滅多に涙を見せぬ
                  まさに無頼そのものの少年世一に対しては
                     どうこう言えた義理ではない。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結8』45ページ』

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さりはま書房徒然日誌2026年2月2日(月)

丸山健二『千日の瑠璃 終結8』より九月九日「私は言い分だ」を読む

少年世一が世話をして飼っているオオルリは、実は飼ってはいけない鳥。

オオルリの存在を知った野鳥の会の会員がやってきて「飼ってはいけない」と警察への通報をちらつかせながら言う。

以下引用文。

たまりかねた母親の言葉。

母親は世一を厄介者扱いしていながら、でもやはり世一のことはよく理解しているのだなあと思う。

あの子がオオルリを飼っているのではなく
   あの子がオオルリに生かしてもらっているのだと
      そう激しくまくし立て、

「杓子定規のあんたらにはわからんでしょうがね!」と
   脳天から声を絞り出す母親は
      おのが言葉の正しさに改めて感動し、


(丸山健二『千日の瑠璃 終結8』より36ページ)



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さりはま書房徒然日誌2026年1月29日(木)

製本応用講座&パッセカルトン講座

製本応用講座

29日は中板橋の手製本工房まるみず組へ、製本応用講座とパッセカルトン講座の二つを受講してきた。

歌集の改造本もバラした本文をようやくかがり終え、表紙の革を切り出すところまでようやくきた。

今回、背のボール紙は入れないでふんわり革で包む感じに。

背側にノリがはみ出さないように注意しつつ、ボール紙を貼る。

でも端の部分の塗り方が甘く、ボール紙がうまくつかない。再度、先生にやり直して頂いて、ようやく密着。

手術用メスで四隅と背の天地部分の革を薄く削いで、ボール紙をくるんだ時に盛り上がらないようにする。

だがメスがうまく動いてくれない。難しい。

ようやく表紙を革で包む。

この本は贈呈用なので、タイトルは箔押し屋さんにお願いすることにした。
一行から箔押ししてもらえるなんて!楽しみ!

パッセカルトン講座3回目

パッセカルトンは細かな作業が多く、早い人で百回くらいかかると言う。

そんな長い道のりの三回目。

ようやく三冊の糸かがりの本を表紙、各折丁にバラした。バラすのもページを破きそうになったりして色々気を遣うもの。

作業の合間に先生が教えてくださる本や印刷やらの話を楽しく伺ううちに、あっという間に終了。

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さりはま書房徒然日誌2026年1月28日(水)

丸山健二『千日の瑠璃 終結8』より九月七日「私は水だ」を読む

土砂流出を防ぐ工事のあと「うたかた湖を満たす瀕死の水」が語る。

『千日の瑠璃』が最初に書かれたのは1992年。

そろそろバブルが終わろうとしていた頃だ。

金の勢いに任せて地方の自然まで荒らされていく様子を、水の視点から語る。

あの時代に語らなければいけないことを、こうして文字にしてくださっていたのだなあと思いつつ読む。

湖岸の山をほんの少し削り取られただけで生じた
   めまぐるしい一連の変貌に
      私はもう付いてゆけなくなって
         日ごとに浄化の力を落とし、

開発と破壊の因果関係の歴たる証拠を目の当たりにした
   数少ない心ある住民たちは
      心底から悲しみ
         そして

            本気で怒っている。

(丸山健二『千日の瑠璃 終結8』26ページ)

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さりはま書房徒然日誌2026年1月27日(火)

東秩父和紙の里へ

中板橋の手製本工房まるみず組が企画してくださった東秩父和紙の里紙漉きツアーに参加した。

このツアーは去年も確か同じ時期に参加した。でも風景が少し異なっていたり、新たな発見があったり……。

例えば紙漉き工房裏手にあるコウゾ畑の風景。

去年は刈り取られる前のコウゾがワサワサしていた。

今年はすっかり刈り取りが終わって株だけになっていた。↓

コウゾは一年で2メートルも成長するそう。

↓コウゾの株。

コウゾは一年でこんなに太くなる。

でも和紙にするのは表皮と芯の間にある薄い皮の部分だけ。これだけの株から取れる和紙は、ほんの僅かだそうである。

工房の長はまだお若い女性職人。その方に色々丁寧に説明して頂く。(それなのに記憶違いも多分多々ある私の情けなさ)

工房の中では、コウゾが産地ごとに分けられている。

地元のコウゾの他に、土佐のコウゾもあれば、タイのコウゾもある。どれも産地の人が丁寧に皮を剥いてくれている。

植物なので虫食いなどがあるが、そういうところは除けないと、後で煮た時に繊維がそこだけ固くなってしまうそうだ。

剥くのも大変、虫食いを見つけてどけるのも大変である。
ちなみに私は「ここが虫食いの跡」と言われても、まったく分からなかった。

コウゾは外の水槽に数日浸して柔らかくするそう。

水は井戸水とのこと。そのため手を入れると、風の冷たさに比べそれほど冷たくはない。

確か灰汁とか入れて煮る……と言われていた。

↓繊維を一本ずつ確認。黒いチリのある繊維をどけていく。これをしないと、最後、紙に黒い点々が残ってしまうそう。

叩く

機械で叩く場合。↓

でも機械で叩くと鉄の粉が混じることもあるため、人力で叩いた方がよいとのこと。

人力で叩く場合、木の棒で叩く。↓

説明してくださった紙漉きの若い女性は、このくらいだと一時間ほど時間をかけて叩くと言われていた。

私もトライしたが、30秒でヨタヨタした。大変な作業である。

↓和紙の繊維を均一にしてくれるトロロアオイの根を引き上げている。

でもトロロアオイは暑さに弱く温度管理が大変とのこと。

化学薬品で代替えも可能な世、管理の難しいトロロアオイを使用するとその分コストが上がることもあるらしい。

和紙本来の良さを追求するには、コストアップも仕方ないのである。

↓これはトロロアオイだっただろうか?

↓漉き舟。これがいわゆる紙漉きのイメージだと思う。

漉き舟に水、コウゾ、トロロアオイを入れて、すのこを動かしながら紙の繊維を残す。

「紙を漉いていないと、漉きたくなってくる」と午後の体験で職人さんが言われていた。
大変な作業だが、無心になれるひとときなのかもしれない。

ただ、こうした道具を作る職人さんが絶えつつある現状を心配されていた。

和紙は道具、材料となる植物、和紙を漉いてくれる人……それぞれが危機にあるのだ。

↓水をここで絞る。

温水が中を通っている鉄板に漉いたばかりの和紙をはり、刷毛で撫でて密着させる。

ハケの激しい擦り減り方を見ると、これも力仕事であるらしい。

「熊毛」とハケにあるが「馬毛」とのこと。強い熊にあやかったらしい。

午後は小さな漉き舟で和紙づくりや葉書作りにトライ。

花を用意してくださっていたので、漉いた和紙に散らしてみた。

和紙は作る段階から手間暇かけて、次の人に手渡していくのだなあと思った。

大変だけど、そうしたバトンタッチ的作業が背景にあるから、和紙には温もりや魅力があるのだろう。

そして現代の無駄を省くコスト至上主義から守らないと、途絶えてしまいかねない存在でもある。

色々貴重な学びをさせてくださった東秩父和紙の里の方々、まるみずの先生に感謝!

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さりはま書房徒然日誌2026年1月24日(土)

丸山健二『千日の瑠璃 終結8』より「私は雨食だ」を読む

「まほろ町の谷という谷をさらに深く掘り下げ のみならず 開発の待ちぼうけを食わせている住民の心まで抉る 容赦のない雨食」が語る。

「雨食」とは聞き慣れない言葉だが、雨による土地の侵食とのこと。

「雨食」に人の心の有り様を思う作者の言葉、「雨食」を心に抱える老若男女、具体的な一人一人の姿……が印象的。

長い分だけ浅い眠りから目覚めた人々は
   夜風にかき乱された胸のうちを
      いつも通りに修復するまで大分手間取り、

どうにかそれが済むと
   今度は私によって穿たれた穴の大きさと深さに気づき、

(丸山健二『千日の瑠璃 終結8』18ページ)

床の間に生花を活けていた宿の女将は
   私のせいで胸を抑えながら
      「ああ」と小さく叫び、

春を知る年頃を迎えた
   向こう意気の強い小娘は
      私のせいで鼻歌を中断する。

(丸山健二『千日の瑠璃 終結8』20ページ)

先日、オンラインサロンで丸山先生は

「歳をとるにつれて心の風穴が増えてくる。趣味、勉強、あるいは犯罪で風穴を一時的に忘れることは出来ても、消し去ることは出来ない」

そんな話をされていた。

雨食とは心の風穴そのものなのかもしれない。

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