さりはま書房徒然日誌2026年3月29日(日)

丸山健二『千日の瑠璃 終結8』より九月二十五日「私は道標だ」を読む

「うつせみ山の頂の方向を指し示しつづけて ちょうど十年目に入り あと九十年は優に持つであろう がっちりとした」道標が語る。

そんな道標が浮かんでくるのも、以下のように登山者を見つめることができるのも、信濃大町に長く住んでいらっしゃるからだろう。

身近な風景から徐々に人生を見つめる視点へと変化、色々考えるところが多い。

これまで私は
   人生の尾根よりも
      なぜか荒くれた山脈を踏破したがる者たちの命を
         幾つ救ってやったか知れず

(丸山健二『千日の瑠璃 終結8』99ページ)

遭難しかけた若者が道標にいたずら書きをする。

「右腕」「左腕」と道標が語ると、何だか人間に近づいてきたような感じがする。

そいつは
   使いこなせることではなく
      高価なことだけが自慢のピッケルを使って 
         山頂を指すわが右腕に〈地獄〉と
            まほろ町を指す左腕に〈極楽〉と刻みつけ


(丸山健二『千日の瑠璃 終結8』100ページ)

「修行よりもむしろ静養のほうが必要そうな 若き僧侶」は、ナイフでその文字を直す。

同じ場所を見るにしても、その人の心次第でかくも見え方が異なる……ことが人間の悲しさなのかも。

優に二時間は費やして
   左右の文字を入れ替え、

そのあとで
   いったい何が悲しいのか

      号泣しながら下山した。

(丸山健二『千日の瑠璃 終結8』101ページ)

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さりはま書房徒然日誌2026年3月26日(木)

パッセカルトン講座&手製本応用講座「自作長編を丸背上製本にする」

咲き始めの桜も寒そうな雨日和のなか、中板橋の手製本工房まるみず組へ。

パッセカルトン10回

前回ページ中央部分に薄い和紙を貼って補強、ワックスペーパーでサンドしてプレスした。

今日はワックスペーパーをはずし、はみ出ている和紙をチョキチョキ鋏で切る。

だが前回貼った筈の和紙が結構剥がれていたり……。後日もう一度やり直そうと除けたページがたくさん。

糊をつけたとき、もっとヘラでゴシゴシ擦らないといけなかった……と反省。

向こうの作業台では、基礎課程を終えた方々が卒業制作の発表をされていた。

私も見せてもらったり、触らせてもらったりした。

卒業制作だからだろうか、どの作品からもその人が大切にしている想いがストレートに伝わってくるようで、あらためて手製本の素晴らしさを思った。

手製本応用講座「自作長編を丸背上製本にする」

今日はいよいよ背中の丸みだし……でも中々上手くいかない

本にきっちりウースをかけ(適当な紙でくるりと巻く)、背中をかすかな水気で湿らしてから、丸みだしのトンカチ作業へ。



でもこの後の作業は写真を撮る余裕がなかったので、去年の写真から。

このバッキングプレスという道具に本をはさむ。

でも私には丁度いい位置、丸背の横、耳が出る位置にきちんとはさむのが難しかった。

丸み出しのトンカチで叩けど、中々丸くならず。耳も中々出来ず。

でもトンカチで叩いていると汗が出てくる。でも上手く丸くならない。

最後、先生がやってくださると、あっという間に丸くなってゆく。でも先生に重いトンカチで叩かせてしまった。申し訳ない限り。

丸背、しくじりかけましたが、先生のおかげで何とか丸背に。

私が自作長編を手製本にしていると聞いた外国の方が「それって私の憧れ!」と言われたような気がする(覚束ない私の英語)

書く、自分の手で本にする……というのは大変だけど、万国共通の幸せな時なんだなあと思った。

中板橋の夜桜を眺めつつ帰途へ。

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さりはま書房徒然日誌2026年3月25日(水)

丸山健二『千日の瑠璃 終結8』より九月二十三日「私は選挙だ」を読む

リゾート開発波と自然保護派に分かれた、まほろ町の町長選。

大学教授が率いる自然保護派は身内から大麻栽培者が出たりで、破れてしまう。

入院した夫に代わって、選挙後の挨拶に立つ教授夫人の思い。

田舎暮らしの単調さを紛らわす手段になりかねない自然保護運動の危うさ……田舎暮らしをされている丸山先生だからこその視線がある。

こんなことでもなければ何もない日々を
   延々とくり返すばかりで、

ささやかな変化と
   安直な感動に飢えきっているかれらの臭い芝居に
      結局のところ利用されていただけではないかと
         本気で疑い始め、

そして自分もまた
   そのひとりであったことを悟った。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結8』93ページ)

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さりはま書房徒然日誌2026年3月24日(火)

丸山健二『千日の瑠璃 終結8』より九月二十一日「私は月見草だ」を読む

月見草を語るにしても、信濃大町でひたすら庭作りに励み、愛情を込めて植物を見ている丸山先生ならでは。

私なんかは、月見草と言われてもぼんやり姿が浮かんでくるくらいだが、この文でそう言えばこんな形だった……と佇まいも、雰囲気も浮かんでくる。

夕日の余光のなかで
   よじれた蕾を準備し
      夜の帳を鋭敏に感知して
         一気に開花へと突き進む
            狭い庭に似合う月見草だ。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結8』85ページ)

そんな月見草を見つめているのは、「一向に回心の見込みがない皇軍兵士の成れの果て」の老人。

それでも月見草に心動かされて、こう語りかける。

今度はしゃがれ声で
   「わしもおまえのように儚い存在でありいたいもんだ」と
       そんなことを言ってのけ、


(丸山健二『千日の瑠璃 終結8』84ページ)

しかしオオルリが元兵士の老人の思いを打ち砕く。

この冷徹な声は、丸山先生の戦争に加担した者への言葉なのだろう。

でもオオルリが語ることで厳しい口調にも、人を頷かせるものが出てくるように思う。

するとそのとき
   すぐ近くで
      まったくだしぬけに
         しかも明瞭な発音で
            「おまえには悶死が相応しい」と
                そう鳴いたのは、

長いこと飼われていたに違いない
   ために人擦れした
      一羽のオオルリだ。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結8』85ページ)

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さりはま書房徒然日誌2026年3月22日(日)

丸山健二『千日の瑠璃 終結8』より九月十九日「私は化石だ」を読む

「オオルリを捜し求めているうちに 少年世一が暴雨のなかで発見した なんと 彼自身の化石」が語る。

丸山作品にはしばしばドッペルゲンガーが登場する。

この世一自身の化石も、やはりドッペルゲンガーの一つではないだろうか。

世一がドッペルゲンガーである化石を語る……という設定ではなく、化石が世一を語っている。

そうすることで世一、ドッペルゲンガーである化石がほぼ対等の存在になったかのように思えてくる不思議さがある。

それにしても自分の化石に出くわす方が、ドッペルゲンガーに出会うよりも不気味な感じがする。

獣性を剥き出しにした貪欲な私の目と
   浅ましい私の心根と
      私が持っている数々の奇癖と
         私が背負う見るに忍びない業を
            生きている世一は
               瞬時にして見て取り、


そして私のほうもまた
   いつまで経っても目処が立たぬ彼の生と
      現世のとば口で行き悩む彼の死を
         しかと見て取った。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結8』75ページ)

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さりはま書房徒然日誌2026年3月19日

製本応用講座「自作長編を丸背にする」&パッセカルトン9回&世にも素敵な歌集「まるみず短歌」

中板橋の手製本工房まるみず組へ。

以前一緒に学んでいた外国の方が隣の席に。

私が無謀にも応用講座とパッセカルトンの両方にトライしていると聞いて、たしかその方は
“Bookbinding is life for you”と言われていたような。


書いた文字を形にしてくれる手製本は、確かに私にとってlifeなのかもしれない。不器用な私ではあるけれど。

パッセカルトン9回


前回と同様、バラした丸山健二「月に泣く」のページ中央に薄い和紙を貼って、糸でかがる時の補強にする……という作業。

結構時間がかかる。二回ちょっとかけてようやく一冊終わる。

残り二冊。

でも他の方の様々な本を眺めたり、先生から本について教わるひとときはとても楽しい。

それにつていは最後に。

製本応用講座「自作長編を丸背上製本にする」

自作長編で丸背上製本を三冊つくるを目指して、黙々と作業。

前回、三冊とも糸かがりが終わったので、今日は背固め。

適当なボール紙で本文をサンド。

背に糊をたっぷり塗って、ヘラでゴシゴシ擦って、折丁の背も糸も平らになるようにつぶしていく。

折丁の間に隙間があったり段差があったりしたらいけないらしい。

糊が乾くのを待つ間に花布を作る。

糊が乾いたら小口側を断裁機で裁断してもらう。綺麗!

世にも素敵な歌集「まるみず短歌」

まるみずの製本コンクール、(その年のテーマは「短歌」)に先生が出された歌集を、今日たまたま拝見。

その存在感に圧倒される。↓

手にとってみると、ものすごく軽い。

本文に和紙を使っているせいだろう。

背の茶色は革?それとも柿渋の和紙?

表紙の隅はコーナーウッド。木片である。

和紙、革、木が醸すオーラの見事さ。

糸のかがり、折り目の美しさ。

とても高価そうに見えるが、本文の和紙は束ですごく安く買われたとのこと。

襖に使われる紙だったのでは……と言われていたような。

こんな素敵な歌集も、手製本の知識と器用な指先があればお金をかけずに出来るのだ。

本文は墨流しで模様を作り(たしか)、二ページに一首という贅沢さ。

右側に短歌を一首。

左側には、先生が歌に合うように別の和紙に描かれた「まるみずちゃん」のイラストを素朴にちぎって貼り付けている。

短歌は旧字体を使用。

イラストの可愛らしさ、旧字体のいかめしさがコントラストを産んでいる。

本の佇まいも美しく、二ページ一首と余白たっぷり

歌と呼応する絵。

墨流しの一ページずつ異なる模様、余白までもが歌っているようで美しい。

短歌とは、本来はこういう器に入れて読むものなのでは……。

白いページに収められた短歌に慣れてしまっている自分がどれほど鈍なのか……ハッとした。

歌集や句集というジャンルは短い言葉でも広い宇宙を含むゆえ、存在感のある本にいちばんピッタリ寄り添うことが出来るのかもしれない。

存在感のある本をつくるにはまだまだな私だけど、そのためには短歌、俳句、小説のストックがなくては……。

かくして手製本をつくりたい……俳句、短歌、小説をつくりたい……と四つのタイヤに運ばれて、ポンコツ車の私は行く。

そう、下手っぴでも bookbinding is life for me なのだ。

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さりはま書房徒然日誌2026年3月16日(月)

丸山健二『千日の瑠璃 終結8』より九月十八日「私は手錠だ」を読む

まほろ町に移り住んだ若いカップルが、大麻を栽培、販売していることがバレて逮捕される。

その様子を手錠が淡々と語る。

これが作者の視点、人間の視点だと、どうしても感情過多になって語られてしまうのでは?

でも手錠が語ると、ビシビシ語ってもどこか距離感があって、読み手もその状況を思い描きつつも淡々と読むことができる気がする。

その時点で私は
   これまで堅気として通っていた若夫婦を
      犯罪者の立場へと一挙に追いやり
         反社会的な存在として位置づけ、

併せて
   両人に身の破滅と運の尽きを
      嫌というほど知らしめ、


(丸山健二『千日の瑠璃 終結8』70ページ)

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さりはま書房徒然日誌2026年3月13日(木)

製本応用講座ー自作長編を丸背本にするー&パッセカルトン講座

今日は中板橋の手製本工房まるみず組へ。

製本応用講座とパッセカルトン講座を受けた。

そのようなわけで製本計算ドリルも二回分受ける。

・「サンバレーオニオンスキン(シャリシャリした薄い紙)を本文に使う場合」について想定される諸々。

・厚み3ミリの硬い紙をリングアルバムの台紙に使う場合に想定される諸々

……などをまとめて答える問題だったが、私の考えの凡庸さ、甘さ、工夫の足りなさを、先生は分かりやすく優しく説明してくださる。

製本応用講座ー自作長編を丸背本にするー

自作長編を三冊も丸背本にするため、前回と同じ糸かがり作業が続く。

今日はなぜか糸の機嫌が悪い。

わかるだろうか?トンカチの上にのせた糸に微かな絡みがあるのが。↓

このコブ、いつの間にか生まれていた。

どうしても解けない。

「じゃあ無視しよう」と思って針を引っ張っても、コブが邪魔して紙に通らない。

仕方ないから後戻りして背側に出して、新しい糸を結びつけることに。

でも今日は糸の機嫌がとことん悪い。

糸を途中で交換するときは背側に新しい糸、古い糸の結び目がくるように持ってくる。



それがジャストの位置で結べず、本文の内側に結び目がきてしまう。

先生に相談すると、やはり見た目の悪さ、背固めもするから背側に結び目があった方が丈夫で安心とのこと。

ここでもやり直し。

糸の機嫌ではなくて、私の不器用さが全開した日なのかもしれない。

(下の写真はかがり終えたときのものだが、背中に糸を付け替えたコブが何箇所かある)

とにかく三冊目の糸かがり、終了。

自作長編三冊、糸かがり終了した!次回は背固め。

パッセカルトン8回目

前回と同じ作業。

バラしてプレスしてある本のページ中央部分に、スパイダーという極薄の和紙を細長くしたものを貼る。

私は極薄の和紙をカッターで切る作業がとても苦手なのだが、今日はビリビリにならずに切れた。

貼ったらワックスペーパーに挟む。最後、ふたたびプレス機へ。

そのほか

今日も皆さん、それぞれが思いのあるものを本という形にされていた。

写真集を作ろうとされている方、

手製本のテキストのプリントを本にまとめようとしている方、

卒業するお子さんがお世話になった先生方へ、色紙を入れる箱を作っている方。

丁寧に工夫を凝らしながら、思いを形にしていく過程を眺めていると、見ている私までとても幸せになってくる。

癒されて、ついミスを多発してしまったけれど。

中板橋駅前ではモクレンが咲いていた。

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さりはま書房徒然日誌2026年3月8日(日)

丸山健二『千日の瑠璃 終結8』より九月十七日「私は通り雨だ」を読む

大切な友人でもあるオオルリを飼っていることを非難され、無理やり籠から放たれてしまい悲嘆にくれる身体の不自由な少年・世一。

その悲しみを慰めようとする通り雨に、自然界の優しさを思う。

世一の悲しみ、怒り、孤独に、人の世の難しさを思う。

わずか4ページにそんな宇宙が凝縮され、読む間に様々な感情が駆け抜けてゆく。

最初の「空っぽの鳥籠」が世一の心にも思え、冒頭から悲しくなる。

私は通り雨だ、

空っぽの鳥籠を手に提げたまま
   当てもなくさまよいつづける少年世一をずぶ濡れにして
      なんとか諦めさせようと懸命に努める
         自分で言うのもなんだが
            情趣にあふれた通り雨だ。

(丸山健二『千日の瑠璃 終結8』66ページ)

やがて
   腹の底から
      魂の底から振り絞るようにして出した凄まじい声を
         獣染みた怒りの咆哮を
            全天に向けて叩きつけ、

喉が痛くなるまで叫びつづけて
   あふるる涙を私のなかで洗い流した後、

待ってくれる者がいない自宅へと
   落胆をなおも強めて
      とぼとぼ帰って行く。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結8』69ページ)

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さりはま書房徒然日誌2026年3月6日(金)

丸山健二『千日の瑠璃 終結8』より九月十六日「私は解放だ」を読む

世一の飼っているオオルリは、実は飼育が禁じられている鳥。

まほろ町のリゾート開発運動に反対するグループの矛先は、このオオルリへ向かう。

仕方なく町役場勤務の父親は籠のオオルリを放つ。その「解放」が語る。

最初は世一の方へ行こうとしたオオルリだが……。


以下引用文。

飼い鳥としての存在から、心ならずも決別させられたのだなあ……と「もはや飼い鳥でない事実を悟らせた」の文に思う。

そんなオオルリが向かう世界が何とも美しく響いてくるのは、「もっと高く さらに高く」の醸す高揚感のせいだろうか。

でも不自由な少年世一はどうなる? なんとなく世一のこれからの運命も見えてくるような箇所である。

ところがオオルリは
   知らない人間やクルマの排気音や臭い空気に改めて圧倒され、

ともあれ
   その場を離脱しなければならないと直感して
      まっしぐらに空へ逃げ場を求め
         頭上を占める青にたちまち溶けこんでしまい、


そこで私は
   もっと高く
      さらに高く押し上げてやり、

そうすることによって
   もはや飼い鳥ではない事実を悟らせた。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結8』64ページ)



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