さりはま書房徒然日誌2023年9月17日(日)

丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻を少し読む

➖怒れども文に美しさが残る理由➖

大津波で助かった青年が矛盾だらけの社会に見切りをつけ、一歩踏み出す場面。

丸山文学の魅力の一つは、ふだん不平不満に思っている社会への怒り、疑問を、丸山先生が見事に言葉にしてくれる点にもあると思う。
こんなに私の怒りを代弁してくれる書き手は余りいない気がする。

ただ「次の自民党総裁にふさわしいのは?という世論調査の一位が小泉進次郎、二位が石破茂、三位が河野太郎」という時代である。
以下、引用箇所を読んでも、まったく心に響かない人の方が多いのではないだろうか?
たぶん圧倒的に読む人が少ないだろう状況でも、ビシッと書いてくれる姿勢に感謝する。

それから、
途方途轍もない不平等な状況がもたらす
ただただ落胆するほかない徒労感でいっぱいの
たわいのない老衰した社会と、

前世紀に一大勢力を築き損ねた帝国の悪夢に未だ毒されている愚民たちの
あまりに強過ぎる民族感情こそが却って国家の価値を低めるという
常識中の常識を無視した
命取りにもなりかねぬ品性のいやらしさを持て余したあげくに、

自由の精神を窒息させる異様に肥大した非人間的な機構に愛想を尽かし、

特権階級の奉仕者たちときっぱり袂を分かち、

欲望を騒然とさせるしか能がない都市景観に見切りをつけ、

政治的幻想でいっぱいの不毛の領域に別れを告げ、

絶対者をあっさり容認してしまう大衆の理性に背をむけ、

文明と人種の運命を決定する痛ましい危機を予感し、

停滞期に入って久しい人知の全部門から身を離し、

寄る辺ない身の上を恐れるにはおよばないと決めつけた。

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻162頁)

ただ、こういう内容の文を私なんかが書くと主義スローガン調になって、散文の面白さが消えてしまいがちで難しい……と思う。

「我ら亡きあとに津波よ来たれ」言いたいことは心に残るようにしっかり伝えられつつも、散文の美しさが残っている理由を考えてみる。

「途方途轍もない」と大袈裟に、漢字の圧力で不平等感を強調されている気が。

「たわいのない」と「老衰した」が「社会」にかかっているのも、どんぴしゃりと死にゆく社会のどうしようもなさを巧みに表現している感がある。

「絶対者をあっさり容認してしまう大衆の理性に背をむけ」という文も、「あっさり」という一語から、丸山先生の感じている歯痒さ、苛立ち、皮肉が伝わってくる気がする。

憤りを書く時であっても、こんな風に言葉と言葉を見えないところで複雑に結びつける冷静な視点が働いている。
それが読む者の心をグラグラ揺さぶるのではないだろうか?

それから、特にこういう文を書くとき、難じる分だけその人の心根が上から目線とか、はっきり見えて嫌になってしまうことがある。

丸山先生の場合、「痛ましい危機」の「痛ましい」に、「寄る辺ない身の上を恐れるにはおよばない」という文中の「寄る辺ない」に、寄り添おうとする気持ちを感じるから、しみじみと心打たれるのかもしれない。


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さりはま書房徒然日誌2023年9月16日(土)

丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻を少し読む

ー寄せては返す波のうねりのような文体を愉しむー

丸山先生はよく「散文は本当は詩歌に劣らず凄いものなんだ」と悔しそうに言われる。

下記の引用箇所に、私でもそんな散文の凄さを感じた。

読み手がチラ見で理解できるようにと思うなら、「命拾いをしたようだ」「だんだん穏やかになる波の音が聞こえてきた」とワンフレーズで書くかもしれないが。

丸山文学に慣れていない人のために引用箇所ごとに色分けしてみた。最初の紫の引用箇所は、平板に言うと「命拾いをしたようだ」と言う箇所である。

紫の引用部分を読むときの私の心を追いかけてみた。
「心の投影」でウーン、どんな心だろう……と考える。
「おぞましき獄門」でさらに考えはじめる。
ぼんやりした頭を「ぴしゃり」という言葉が襲いかかる。この「ぴしゃり」が効いているなあと思う。

やがて、

命へのひたむきさをもう一歩押し進めて
とうてい人知のおよぶところではない溌剌たる生気を急速に回復し
生者の不可逆的な時間の流れに乗れるところまでどうにか漕ぎつけ、
一種謎めいた物言わぬ動物にでもなった心地で
ふたたび現世の魅力に惹かれてゆくうちに、

詩美にいちじるしく欠ける
心の投影としての
おぞましき獄門が
ぴしゃりと閉じられた。

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻128頁)

以下、赤字の引用箇所は津波から助かった青年が、だんだん穏やかになる波音を認識する箇所だと思う。

丸山塾での指導されるとき、先生は同じ言葉の使用を嫌う……と言うより許してくれない。
語彙貧弱な私はすぐに言葉が出尽くしてポカンとすることもしょっちゅうだ。
そういうとき丸山先生は優しく、まるでドラえもんのポケットのように、「こんなふうに言うことができる」と惜しみなく秘密の言葉の武器の使い方を教えてくださる……。
そんな丸山先生の講義を思い出してしまった。

ここでは、まず波という言葉が手を変え品を変え、「音波」「音韻」「懐かしい声」と繰り返される。

次に「〜でなく」と否定する形で、「幸福の残骸の摩擦音」「過去のこだま」「絶望の叫び」「良心の叫び」ではない……と否定してみせる。

そして「笑い声」「百千鳥の合唱」「独言」「薄幸のため息」と比喩をパワーアップさせてゆく。

肯定の比喩、否定する形での比喩、さらにパワーアップした肯定の比喩……と文を展開させながら波を表現してゆく文体は波のうねりそのもののようだ……
と、ここの文体に心地よくなる理由を考えてみたが、どうだろうか?


さらには、

失地回復のための魂の自殺をうながす
霊妙なる楽の調べのような
度が過ぎるほど抗しがたい音波に魅了され、

純粋な個人を不断に干渉する音韻にじっと耳をかたむけているうちに
常に危険に身をさらして生きる動物的な精気から一挙に離脱するという
思ってもみなかった鎮静の効果が得られ、

ほどなくして、

心を許した血縁者がおれの名を呼ばわる
なんだか懐かしい声のように思え、
星を頂いた天空の処々方々に
万物は神の影などではないとする
そんな自己発揚の楚然たるきらめきが
無数に星散しているのであった。

だからといって、

過去に呑みこまれてゆくばかりの幸福の残骸の摩擦音というわけではなく、

幽界の人となった者が聞くという過去のこだまでもなく、

飽和点を超えた絶望の叫びでもなく、

ましてや俗耳に入り易い良心の呼び声などでもなく、

むしろそれとは真逆の、

野に遊ぶ小娘たちの切れ切れな慎ましい笑い声や、

常夏の国を想わせる風光のなかでくり広げられる百千鳥の合唱や、

行方定まらぬ二重の意識を持つ屈折者の独言や、

いかな悲しみであっても共有できそうな薄幸のため息……、

そういったものに近く、

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻129頁)

国語教育が実用的な文の理解に重点が置かれるようになった今、こういう文の愉しさを理解する人は非常に少なくなってきているのではないだろうか。
そんな現状を寂しく思う限りである。

それから「星散」(せいさん)という言葉、意味は日本国語大辞典によれば「星が大空にまいたように散らばっていること。転じて、あちこちに散らばること」……なんとも綺麗な日本語だと思った。


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さりはま書房徒然日誌2023年9月15日

丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻を少し読む

ースッとは分からないけれど、読んでいるうちに心にリズムが生まれる不思議な文体ー

丸山文学を読み始めた当初……

漢字の読みも、意味も分からない言葉があったり(しかも私の場合は結構たくさんあった)、他の作家のなるべく読みやすく……という親切心で書かれた作品とは違って、深い意味を理解するまで、何度も往復して読みを繰り返したり……したものだ。

いや、今でもそうである。

でも多少意味がわからなくても読んでいれば、不思議にも心地よいリズムが生まれてくる。

丸山健二塾で指導を受けているとき、「の」の繰り返しが三回になってしまったことがあった。
文芸翻訳を勉強していたとき、翻訳家から三回「の」を繰り返すな……と教わった記憶がある。
丸山先生に「の」が三回ですがいいのですか……と質問したところ、先生はニヤリと笑って「五回『の』を繰り返すことだってある」言われた。

原著者の言わんとするところをなるべく正確に近い文体で分かりやすく伝える翻訳……。
文体のリズムに自分の叫びを刻もうとする丸山先生の散文への姿勢….
小説の翻訳と創作、両者は根本的に違うのだなと思った。

東日本大震災の被災地を実際に見てから数年後の丸山先生の叫びは、やはりこの文体なのだろう。
ちなみに当然ながら私の叫びはまた全く違う文体なのである….これが散文を書いたり、読んだりする面白さなのかもしれない。

以下の引用箇所は、最後の長編小説「風死す」に発展してゆく文体のような気がする。

丸山文学初めての方のために、内容で色分けしてみた。


紫の部分は、大地震の余震の凄まじさを書いている。
赤字部分は、地震によって否定されてしまう人間らしい諸々を、繰り返し連ねている。
読み慣れるとこの反復によって、リズムが、イメージが生まれてくる。

そのあとを継ぐ、

あたかも
ありったけの元素を強引に融合させてしまうかのごとき
とてつもなく重量感にあふれた大混乱をもたらし、

目もくらむような恐怖を差し招いて
空想上の歴史の到達点を現実のものとしたのかもしれぬ、

永遠の因果律を支える
非人間的で悪魔的な自然界の発作的な大激怒は、

いよいよもって人類滅亡という幻日が昇ったかの観を呈しつつ
およそ生命原理の根底からの崩壊を免れそうにない
恐ろしい必然に支えられた無限なる不幸を象徴し、

さらには、

神仏の意思をはるかに超えて
細心綿密に組み上げられたこの惑星が
無何有の郷には遠くおよばず
結局は砂上に描かれた要塞でしかなかったことを冷ややかに証明し、

また、

自分にできないことはないと高言してやまぬ
断然強い守護者という幻の存在を
にべもない解釈で斬って捨てたあと
陰鬱な後味を残す嘲笑に付し、

それから、

正義の原則なるものを、

我らを導く愚かな期待を、

共通の基盤に立つ世間の通念を、

形而上の世界と気脈通じる最良の日々を、

単に墓に下る者ではない人間らしい人間としての生涯を、

かけそき楽の音のごとき詩的香気を放つ言霊を、

万人のうちに本性的に具わる隣人愛を、

真っ正直に澄みきった知性を、

心を明るく照らす生きた力を、

良く生きるための崇高な善を、

慈悲深い美的行為を、

油然と湧いてくる詩想を、

醜怪な幻として

もしくは
慢性の凶器として
情け容赦なく斥けた。

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻100頁)

よく分かったとは言えないけど、リズムを感じながら読み進める……という読み方に丸山文学で慣れたせいだろうか。
今度、素天堂さん追悼読書会の課題本「黒死館殺人事件」も筋をよく把握していないけれど、読んでいるうちに不思議なリズムが心に生まれる過程を楽しんでいる気がする。

引用箇所に出てくる「無何有の郷」(むかうのさと)とは、日本国語大辞典によれば「物一つない世界の意味」で荘子に出てくる「架空の世界sw、無意・無作為で、天然・自然の郷。むかゆうきょう。ユートピア」だそうだ。
初めて知った。日本語の豊穣なることよ。

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さりはま書房徒然日誌2023年9月14日(木)

丸山健二「我ら亡きあとに 津波よ来たれ」上巻を少し読む

ー様々な色が一つの人格をなす人間はステンドグラスさながらの存在ー

丸山健二塾でご指導頂いているときに、「この人物はすごく嫌な人間なのに、そういう風に表現すると嫌な部分が減ってしまうのでは?」と質問をしたことがあった。

丸山先生は「こういう人間だ……と決めつけて書くのはすごく古い書き方で、色んな矛盾をはらんだ存在として書くべき」というようなことを答えられたと思う。


丸山作品を読んでいると、やはり一人の人間の中に色んな面を見いだそうとする視点を感じる……。

たとえば「我ら亡きあとに 津波よ来たれ」で、大津波にのまれて三日間さまよいなながら、主人公が己を語る言葉も実に多様な姿を映している。

そんな自分のことを、

無責任な影法師に見せかけたがるやくざな根なし草、

あらゆる無法な特権が許される狂人、

他人に嫌悪を催させる
情の深い清廉な人物、

自身が国家であるという普遍的な叫び声を発する
熱烈な激情を秘めた道化役者、

青春の日は翳ってもなお心湧き立つ
反逆的な激情の持ち主、

どこまでも楽な暮らしをしたがる
根性の腐った奴、

常に万人と共に在る
夢見るような自由人、

それほど厄介ないつまでも超脱できない自分自身にのみ服従する
真っ正直と言えば真っ正直な無能な人種へと、

安産の過程のごとく
じつになめらかに移行してゆくのだった

(丸山健二「我ら亡きあとに 津波よ来たれ」上巻75頁)

人間とはステンドグラスのように様々な相反する色をはらみつつ、調和して生きる存在なのかもしれない。

写真は2枚とも、パリのノートルダム大聖堂のステンドグラス。

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さりはま書房徒然日誌2023年9月13日(水)

1969年11月3日、三島由紀夫が国立劇場屋上で楯の会のパレード行進を挙行。
そのときに小劇場で上演されていた文楽の演目は?


今日は国立劇場で文楽1部、2部を鑑賞。
今月で建て替えのため、この劇場は長い歴史をいったん閉じる。


劇場が建てられて間もない頃、三島由紀夫が国立劇場の屋上で楯の会結成一周年記念のパレード行進をした……という話を聞いたことがある。
いくら三島由紀夫とはいえ、よくぞ国立劇場が屋上を解放したものだ……と思っていた……。

だが、やはり許可をもらって……という形ではなかったようである。

パレードを行った1969年当時、三島由紀夫は国立劇場の非常勤理事をしていた。
さらに三島が書いた『椿説弓張月』を国立劇場で11月5日から上演することになっていた。
当然のことながら、三島は足繁く国立劇場に通っていた。


1969年5月には、国立劇場の技官に頼んで3階の屋上に通じる鍵を開けてもらい、歩いて時間をかけて屋上の広さやらを測って下見をしていたらしい。
1969年11月3日、三島は2日後に上演を控えていた自作『椿説弓張月』の舞台稽古に立ち会っていた。

だが途中で「あとはよろしく」と姿を消した。

そしてその日15時、三島は楯の会会員80人、来賓50人を連れて国立劇場3階から屋上に通じる人一人がやっと通れる階段を登ってパレードを挙行……したのだそうだ。
大劇場は、三島の『椿説弓張月』の舞台稽古中であった。


ちなみに小劇場の方は……
文春オンライン記事によれば「上演中だった下の小劇場では、照明器具を吊るす細長いバトンが揺れて、ライトの当たりが狂って大変だったそうです」とのこと。


この日、小劇場で上演中の演目は?と調べてみると、文楽「本朝廿四孝」が大序から道三最後までフルに通しで上演されていた。
今の演者の方で、三島が屋上でパレードしていたときに舞台に出ていた方は?と調べてみたら、和生さん、清治さん、呂太夫さん、団七さんは出演されていたようである。

今月、幕を閉じる国立劇場。
その長い歴史の中で、こんな出来事もあったのか……。

舞台では「本朝廿四孝」の狐火が縦横無尽に踊り、屋上では軍服を着こんだ縦の会会員が整列歩行をする……。
そのとき国立劇場の建物は、どんな思いで相矛盾する人間界を眺めていたのだろう?

国立劇場の長い歴史を思いつつ……

三島がパレードをするその下で舞台に出ていらした演者の方々が、今日も元気に舞台をつとめている文楽のパワーというものに驚嘆する次第である。

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さりはま書房徒然日誌2023年9月12日(火)旧暦7月27日

丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻を途中まで読む

ー死で、溺れゆく者たちで始まりてー

(絵は「出雲日乃御崎」川瀬巴水 出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」より )

丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」を読了し、次に読む丸山健二作品はどれにしようか……と考えた。

ずっと丸山健二文学を読んできた歴史の長いファンとは違って、私は四、五年くらい前に読んだ「争いの樹の下で」が初めて読んだ丸山作品だ。

どちらかと言えば、読む人の多かった初期作品よりも、「ついていけない」とそれまでの読者が離れていった後期作品の方が好きである。読解力があるというわけではないが。

ただ後期作品の方が幻想味が強くなって、言葉が一段と研ぎ澄まれている感があると思う

まだ読んでいない丸山作品はたくさんあるのだが、後期作品の「我ら亡きあとに津波よ来たれ」(2016年左右社より刊行)を読むことにする。

おそらく東日本大震災を念頭に書かれた作品ではないだろうか。
大津波の場面ではじまる。

最初の60頁くらいを読み、てっきりこれは津波で死んだ死者の視点で語られているのか……と思うくらい、死というものが迫ってくる。

だが版元の作品紹介を見ると「養いの親を手に掛け、放浪に身をやつした青年を襲う大津波。三日三晩を生き延びたとき、あたりにはただのひとりも生者の姿はなかった。」とある。
どうやら生き延びた青年の視点らしい。

死者が語っているかと思うくらい、死というものがズバリと語られている。

「死」について言葉を連ねた以下の引用箇所、「たしかに死とはこういうことと思う。

得て勝手な心の遍歴の断絶、
天命を自覚するばかりの人間の営為の終了、
当を得た恐るべき非情、
のしかかってくる存在の解消、
大地に根づかせた命の雲散、
つまり
これぞまさしく
劫初以来逃れる術もない死というものであったのだ

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻35頁)

主人公の青年が大津波にのまれ、ぼんやりとした意識で語られる言葉。
ここで青年が語っているのは、かつて出会った人間なのか、それとも近くの水面を漂う人間の姿なのか……哀しい姿の数々。

ついで、

古色蒼然とした良識の枠に嵌められてしまった者や、

未完成を喜びとするような泥細工の精神が脈打つ者や、

俗悪な欺瞞のたぐいを万人が共有する財宝とする者や、

かなり厳しい条件付きの生殖力を大いに嘆く者や、

涙ぐましい策を弄して飽食の至福を得ようとする者や、

骨の折れる労働の連続によって肉体が崩壊しかけている者や、

幸先よいはずだった人生が初っ端で挫かれた者や、

救いがたい罠に落ちる罪なき者……、

そうしたたぐいの人種にでもなった心地で、

いつしか知らず希望の空費たる夢の迷路に誘いこまれ、

(丸山健二「我ら亡きあとに津波よ来たれ」上巻43頁)

冒頭からいきなり死が、溺れゆく人間が語られる「我ら亡きあとに津波よ来たれ」だが、このあとはどんな言葉が連なるのだろうか……。



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さりはま書房徒然日誌2023年9月11日(月)旧暦7月26日

丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」読了

〜人の思いを読み取る不思議な吊り橋「渡らず橋」を舞台に、現在と過去が、生者と死者が交差する! 幻想文学ファンも殆ど知らない素敵な幻想文学〜

吊り橋「渡らず橋」のもとにクルマで現れた青年。
彼が幼い頃、両親は村を出てしまい、祖父の手で育てられた。
青年が口笛を吹けば、とうに亡くなった筈の父と母が姿を現す……
作者・丸山健二は丁寧に書くことで、そんな不思議に説得力をもたらす。
特に引用箇所の最後「ぐいと」という一語が、不思議を可能にしてしまう力強さがある。


いかにもおぼろげなその様相は、
じっくりと意を配った口笛の高まりにつれて濃密へとむかい、
それから卒然として一挙に凝縮され、
古くもなければ新しくもない、
かなり広い含みを持つ何かが空中いっぱいに満たされ、

ついには、
思いもかけぬこととして、
中間的存在としての万物が構成する次元の限界をあっさり超えてしまう、
絶対に予測しえない驚くべき作用がもたらされ、

なんと、数年前のなお遠くにある過去の一角がぐいと引き寄せられたかと思うと、
結末のない物語にでも登場しそうな、
一抹のお情けをもってしても救われそうにない、
青白く痩せた男女ふたりのまったき姿を、
森の暗闇と非現実の極みの奥からすっと誘い出したのだ

(丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」395頁)

生きている青年と過去に死んだ筈の両親が向かい合う瞬間……。
以下引用部分の表現に、抜群の説得力と格好良さを感じる。


しかし、
奇しくも、
過去の夜と現在の夜が今宵のこの時にぴたりと重なり合ったという、
厳然たる事実に疑いを差し挟む余地はなかった。

(丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」400頁)

以下、口笛の響きと時の流れの移ろいを繊細に描く文に、人の無力さを思う。
男親、女親の不甲斐なさ、醜さが最初に書かれているから、若者の口笛の純粋さが心に沁み渡る。


女親の心のすすり泣きと、
男親の自己弁護のつぶやきと、
かれらの子である若者のさまよえる光のごとき口笛とが、
入り乱れて交差する時が素早く流れ、
まもなく、
神秘にしてはるかな響きと化したそれは曇りのない静寂に包みこまれ、

(丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」408頁)

吊り橋が人間の思いを感じて心象風景を描いたり、死んだ筈の両親を連れてくる口笛、死者と生者の対峙……という不思議の数々を、ぴたりとした言葉によって表現した素敵な幻想文学だと思う。

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さりはま書房徒然日誌2023年9月10日(日)旧暦7月25日

歌人、小説家に共通する思いを心に刻んで

福島泰樹短歌絶叫コンサート「大正十二年九月一日」へ。

一部の最後、ブルガリアの詩人の詩を朗読する前に福島先生は語る。
「日本以外の国では……詩人は尊敬されているんだ。
 言葉という武器をつかって、いち早く危険を表現して、行動して戦うから」

丸山健二先生もたしか同じような趣旨のことを言われたような記憶がある。
丸山先生は「作家は、炭鉱のカナリアだ。
普通の人より早く危険の兆候を察知して、言葉をつかって文にしなければいけない」のだと。


短歌、小説と分野は違えど……
福島先生も、丸山先生も同じような思いを抱いて表現されている……と心に刻む



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さりはま書房徒然日誌2023年9月9日(土)旧暦7月24日

丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」より『口笛の朝まで』を途中まで読む

ーモノである吊り橋が人の思いや過去を感じ取って語り出すという幻想譚ー

吊り橋「渡らず橋」にクルマで近づいてきた見知らぬ青年。
突如、「渡らず橋」に青年の思いや過去が見え、聞こえてくる……。その中には村を離れた者の声も混じっている。
人でないモノである吊り橋に、人の思いが、記憶がなだれ込んできて、吊り橋が語りだすという幻想味が好き。
たしかに吊り橋のグラグラ揺れる感じには、そんな不可能が可能になってしまう不思議さがある。


以下、なだれ込んでくる想いに、吊り橋が最後は「見ようではないか、聞こうではないか」と居直る箇所より。

青年の思いが一方的に「渡らず橋」の心眼に鮮明な映像として置き換えられ、
なお、
含蓄にあふれた生々しい肉声として心耳に響いてはいても、
当人にその自覚がまったくなく、

ただたんに、彼の記憶の底に雑然と積み上げられている、
本来は無形のはずのものが、
無数の多彩な原子のいたずらっぽい混乱から生じる波動となって、
工場地帯の廃液のようにでたらめに流入してくるだけのことなのかもしれず、
よしんばそうだそうしたそとしても、

吹雪もなければ、突風も吹かず、
ひたすら凍てついているばかりの、
まるで死者の国と化してしまったかのような、
退屈な冬の一夜をつくづく持て余す者にとっては、

常識のけじめをきちんと弁えながらも、
そうしたたぐい稀なる珍現象を拒む訳柄などあろうはずもなく、

お望みとあれば、
見えるものはすべて見させてもらい、
聞こえるものは余さず聞かせてもらうだけのことだと言う、
ふてぶてしい開き直りに寄りかかるしかほかにやりようがなかった。

(丸山健二「夢の夜から 口笛の朝まで」より『口笛の朝まで』332頁)

丸山文学が幻想味に富み、日本幻想作家名鑑でもかなりの行数をさいて語られているのに、実際に読んだことのある幻想文学ファンがとても少ないのが残念でもあるが……。

あまり知られることのない、ひっそりとした輝き……というものが、すぐれた幻想文学の宿命なのかもしれない。

ちなみに「夢の夜から 口笛の朝まで」は、日本幻想作家名鑑よりずっと後の作品なので収録されていないが……。
ここで紹介されている作品より、さらに幻想味が強くなっていると思う。

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さりはま書房徒然日誌2023年9月8日(金)旧暦7月23日

拙い歌ですが……「ゆりかもめ」の歌

今日、提出した私の歌は

ゆりかもめ夢寐(むび)貪るなぬくぬくと哀しみたゆたうフクシマの海

これだと、「ぬくぬく」がかかるのが「ゆりかもめ」なのか「フクシマの海」か分かりにくいと言う助言をもとに、以下のように一字開けてみました。

ゆりかもめ夢寐貪るなぬくぬくと 哀しみたゆたうフクシマの海

あとで書きますが、二年半前に書いた短文の一節「夢寐をむさぼっている」を思い出し、口ずさんでいるうちに「ゆりかもめ」と言う言葉が浮かんできました。

「ゆりかもめ夢寐貪るなぬくぬくと」と考えたところで、「ゆりかもめ」とは?と自分でも考えてみました。

福島の海辺にいる鳥に向かって語りかけているようでもあり……
原発から離れたところで呑気に暮らしている自分に向けての自省の呼びかけでもあり……
また東京都民の足となっている交通機関「ゆりかもめ」を思い出し、福島の犠牲のもとに生活を営んでいる首都圏の人々に「ゆりかもめ」と呼びかけているようであり……。


「夢寐貪るな」という言葉が「ゆりかもめ」の風景を、「ぬくぬくと」と言う自嘲する心象を自然と運んできたように思います。

「夢寐」とは日本国語大辞典によれば「眠って夢を見ること」とあります。「ムビ」も「ユメ」も語数は同じですが、「夢」だと「希望にあふれる夢」とか未来につながってしまいそうなので、純粋に行為を表す印象のある「夢寐」にしました。

福島先生は初心者の短歌にも寛大で、「ぬくぬくと」と「たゆたう」の語の響きの呼応が面白い、「ゆりかもめ」の比喩が面白いと優しい言葉をくださり、自分では気がつかなかった見方を発見。

言葉をつかって表現するなんて思ったこともなかった私が、ひょんなきっかけから丸山健二塾に入ったのが2年半前。
最初の課題「40字以内で見たこともない日本語をつくる」という課題で作ったのが「夢寐をむさぼっている」という以下の表現でした。
「見たこともない」とは程遠いですが、文章に自分を託すヨチヨチ歩きの第一歩を踏み出したのだなあと懐かしい気がします。

テトラポットの上の磯鵯(イソヒヨドリ)は
歌うことも忘れて
波音に頭をゆらして
夢寐をむさぼっている

丸山先生は「夢寐をむさぼっている」の「むさぼっている」に続くように、次の文を書きなさい……と言われ、そんなふうにして無限に文を重ねてゆくうちに、初めての短編がとりあえず完成。

そんなことを懐かしく思い出し、「夢寐をむさぼっている」とハミングするうちに、「ゆりかもめ」が、「ぬくぬくと」が、「フクシマの海」と言う言葉がニョキニョキ生えてきて、散文とは全く違うこの歌ができました。


丸山先生は「ストーリーを考えてはいけない。言葉がストーリーに連れて行ってくれる」とよく言われます。この歌も「夢寐をむさぼっている」と言う言葉から、自然に「ゆりかもめ」が、「フクシマの海」が浮かんできたような気がします。

こんなふうにして言葉と戯れる丸山健二塾で過ごす丸山先生との時間。
勝手に好きな作品を翻訳するだけで、文章表現とは縁遠かった私でしたが……。
おかげで小説だけはなく、短歌の世界にまで冒険してみる気になったような気がします。
丸山先生にも、福島先生にもひたすら感謝です。

(丸山先生の塾はいぬわし書房の方で、福島先生の短歌創作講座は早稲田エクステンションエンターで、文学講座はNHK青山で受付けています)

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