さりはま書房徒然日誌2025年10月31日(金)

和紙のお話を聞きに名古屋へ

昨日30日、名古屋にある紙専門店「紙の温度」さん企画のトークを聴きに名古屋へ。

紙の温度技術顧問の宍倉佐敏氏による「和紙に使われた植物繊維」という話だ。

宍倉氏は製紙会社の研究所でレザックやタントという銘柄の紙を開発されたそう。
私はレザックを見返しに使うことが多いため、その紹介に勝手に親しみを感じる。

植物の産地に出かけ採取、みずから紙にしてきた宍倉氏の話を聞くうちに、紙が何とも身近に感じられてきた。

そんな宍倉氏の話から幾つか印象に残った話を以下に。

◆◆紙の起こりは女たちの洗濯(みたいな作業)から◆◆

起源は古代の中国。
絹糸を繭から取るとき繊維屑が出る。
女たちはこの繊維屑を水中で叩きほぐして再利用した。
そのとき籠に残る繊維屑が薄い層になって、乾燥すると繊維の膜になった。
これが「紙」の始まりだそう。
(洗濯機の糸屑フィルターに繊維が集まるのと似ているそう)

紙の起源が女たちの、手仕事から……とは知らなかったし、なんだか嬉しい。

◆◆紙に使われる植物は身近なところに◆◆

紙の材料について、古代に使われていた植物から説明して頂く。
まずは苧麻(ちょま)から。


そんな植物なんて知らない……と思ったが、宍倉氏はにこやかに「駅から紙の温度に来る途中の道のあちこちで苧麻を見ました」


日本に紙が伝わった頃の材料、苧麻が道端でよく目にするものだとは……意外である。


この苧麻で作られた紙は、光明皇后の「五月一日経」とか百万塔陀羅の料紙に見られるそう。

◆◆古代の人はなんだか風流◆◆

古代の紙の材料は苧麻、楮、カジノキ、ヒメコウゾ。

なかでもカジノキは葉が大きく柔毛があるため、毛筆で文字が書け、七夕の短冊にも使われていた、とのこと。


現代のワードで印刷する文字よりも、風情があったのだなあと思う。

◆◆奈良・平安の支配層の写経事業に紙が使われる◆◆

聖徳太子、聖武天皇、光明皇后は写経を奨励して、人心の統一をはかり、平和を願った。

楮が供給できないとき、補助材料として紐や縄に使っていたマユミ、雁皮(ガンピ)、オニシバリが使われた。

支配層の事業が紙の開発、普及につながった時代と知る。比べると現代は……

◆◆時代によって「よい紙」も変わる◆◆

奈良や平安時代、皇室や貴族に紙が使われていた頃、よい紙とは白くて、厚いものとされていた。

でも鎌倉、室町と武士の時代になると、白くなくてもいい、厚くなくてもいい、小さくてもよい、文字が書けて安価であれば良いと紙の概念は大きく変化。

柿色や薄茶色になって色白美人にはならない三椏(ミツマタ)もこの頃から使われるようになる。

この頃に中国から竹の紙も入ってくる。

江戸時代、高価に販売できるため各藩は和紙の製造に励み、経験の乏しい農民に製造を押し付ける。結果、紙質が低下する。

◆◆現代、和紙の材料は世界中から◆◆

外国産の材料で出来た紙を和紙と呼んでいいのか……という話は、別のところで聞いたことがある。

だが栽培できないため生産量が減っている雁皮はフィリピン雁皮のサラゴンが代用されるように、またネパールのロクタも代用されているとのこと。

三椏、オニシバリもネパールのロクタが代わりになるものとして注目されているとのこと。

仕方ないのだろうが、和紙の材料まで外国頼みになっているかと思うと何とも心細い気がする。

(宍倉佐敏氏の著書『和紙の歴史 製法と原材料の変遷』を参考にして書きました。
 和紙の歴史について、とても詳しく、丁寧に、わかりやすく書かれた良書です。おすすめです)

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