さりはま書房徒然日誌2025年12月8日(月)

丸山健二『千日の瑠璃 終結7』より八月十八日「私はアオバトだ」を読む

「山国のまほろ町で暮らしてはいても 夏場には必ず海水を飲まないと生きてゆけぬ」アオバトが語る。

そんなアオバトが見つめ語るのは、海辺の町から「干物をぎっしりと詰め込んだ箱を背負えるだけ背負って」行商する娘。

この行商の娘は、これまで幾度か登場してきた。

アオバトが向ける行商の娘への視線に、丸山先生の視線が重なる。

海の町でたくましく、ひたむきに生きる娘の姿が浮かんでくる。

そんな彼女には
   確かに私を惹きつけて止まぬ何かが具わっており、
      だからこそ
         いつもそうやって気に止め
            様子を窺ってしまうのだろうが、

しかし
   なぜか見飽きるということがなかった。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』349ページ)

最後、まほろ町を後にする行商の娘の影にアオバトが見た光の輪。

この影の描写に娘の現実と憧れが描かれているような気がして心に残る。

これはおそらく私しか気づかないことで
   彼女の恐ろしく長くて酷く寂しい影の頭の部分には
      ほんの薄っすらと
         虹色に限りなく近い
            光の輪が見てとれたのだ。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』349ページ)

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さりはま書房徒然日誌2025年12月5日(金)

並装から上製本への続き

昨日、中板橋の手製本工房のまるみず組へ。

並装から上製本への改装本作業の続きをやる。

まずはヤスリをかけて、背中にしつこく残るノリボンドのねちょっとしたところを削る。

薄葉紙スパイダーという和紙を細長く短冊状に切り、ノリを塗ってページを繋いでゆく。

ワックスペーパーの上にノリをつけた薄葉紙スパイダーを置く。

薄葉紙スパイダーでページ二枚の端をくるんでつける……を繰り返して、8ページ1折の折丁に。

でも薄くてフワフワしているから、くるんだつもりがくるめていなかったり難しい。

作業の合間、私の「本にするぞ」計画の助けにと、先生がページ数や折丁数を計算して印刷会社や製本会社に聞いてきてくださった予算を教えてもらう。

紙代が加わるけど、それでも後書き、書籍デザイナー、挿絵、校正をお願いする余裕がありそう。

手製本工房の先輩が働いている製本会社では、その先輩が先頭にたって関わってくださるらしいとのこと。とても嬉しい。

コツコツ書いてきたものが、知らない人ではなく、一緒に紙漉きツアーに行ったり、教えていただいたりしたこともある手製本工房の先輩に見守られて本になるんだ……と思うとさらに嬉しいし、頑張ろうと思う。

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さりはま書房徒然日誌2025年12月4日(木)

丸山健二『千日の瑠璃 終結7』より八月十七日「私は虫唾だ」を読む

「鋭い眼光でもって世間のあちこちをねめつけながら 僅かな揉め事でもけっして見逃さない そんなやくざ者に走る虫唾」が語る。

やくざ者が虫唾を走らせる様々な人間。

その中には、丸山先生と思われる人間も入っている。

果たしてどこの誰が読むのか見当もつかぬ
   小難しい一物を物するために
      この世に向かっていちいちいちゃもんをつけ
         厭世と楽観の狭間を
            その日その時の気分に従って縫い
               かくも相応しい環境と条件の下で
                  せっせと書きつづける小説家だ。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』345ページ)

小説家の書くという営みを「この世に向かっていちいちいちゃもんをつけ 厭世と楽観の狭間を その日その時の気分に従って縫い」と表現。

たしかにそうだなあとも、面白い表現だなあとも思う。

一方で、それゆえ小説は世間の有り様が違ってくると、価値観や目のつけどころの面白さがずれてきて、いち早く忘れ去られてしまうのかも……とも思った。

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さりはま書房徒然日誌2025年12月2日(火)

丸山健二『千日の瑠璃 終結7』より八月十六日「私は球電だ」を読む

球電というのは、雷雨の時に見られる球のように発光する現象。

雷雨のこの世のものとは思えない凄まじさ、

弱い筈の世一。その不思議な存在感、

そんなものが混然として美しい描写だなあと思う。

すぐ後を追う私に
    彼がまったく気づかないのは
      あながち雷鳴や土砂降りの雨のせいばかりではなく、

思うに
   病がもたらした途方もない集中力の為せる業に違いなく、

つまり
   自我への認識の度合いの異様な深さによるもので、


落雷は山にも町にもあって
   その都度
      野人に等しい少年の姿をくっきりと照らし出し
         瞬間の火柱を立ち昇らせる。

(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』340ページ)

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さりはま書房徒然日誌2025年12月1日(月)

丸山健二『千日の瑠璃 終結7』より八月十五日「私は焦熱地獄だ」を読む

帰還兵なのだろう、まほろ町に居着いた物乞いが蝋燭の炎の向こうに見る焦熱地獄。

戦争が終わっても、日常の景色が些細なことをきっかけに戦争中の酷い景色に変わってしまう。そんな帰還兵の意識がひしひしと伝わってくる。

かつての穏やかな心には戻ることの出来ない帰還兵の、戦争の悲惨を思う。

昼下がりの炎暑が
   いつしか降り注ぐ焼夷弾の高熱に取って代わられ、

すると途端に
   夏は夏以上の季節に変わり、

いかなる罪より重そうな銀色の機影の通過直後に
   そこかしこからいっせいに火の手が上がり、

その寸前まで芬々と薫っていた草花までが
   家屋や電柱と一緒に燃え出し、

池や川の水が煮え立ち
   もうもうたる煙によって
      碧空がみるみる占領されてゆく。

そして私は
   生々しい記憶の底から
      実体験以上の苦しみや悲しみを引き出して
         物乞いを責め苛み、


ついさっきまで空元気を出して生き抜こうとしていた
   健気な人々の体からどっと肉汁があふれ出し


(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』335ページ)

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さりはま書房徒然日誌2025年11月29日(土)

並装から上製本への改装

27日(木)は手製本工房まるみず組の応用コースへ。

並装から上製本にする作業を黙々としながら、先生から色々本のこと、紙のことを教わる癒しの、そして学びのひととき。

まだページの端にしつこく残っているノリボンドの痕跡を、カッターの刃の頭でで根気強くゴリゴリ落とす。

ノリボンドの跡を綺麗に落としながら、色々先生にお話を伺う。

今作ろうと動きはじめたばかりの本のことも色々助言くださる。

「予算が許せば、中にカラーの挿絵を挟みたい」と言えば、

印刷会社に全ページカラー印刷を頼むか、

あるいは挿絵部分だけカラー印刷にして製本会社で貼り込んでもらう……ことも出来るとのこと。

具体的なコストは両方とも訊いて調べて下さるとのことで、大変有難い。

修理のレッスンに使えないかと93年前に江川書房から刊行された堀辰雄「ルウベンスの偽画」を見て頂く。

ボロボロになってしまっているけど、赤い部分は革だそうだ。

革は70年くらい経過すると中の油が抜けて、こういう状態になってしまうらしい。

でもスッキリした素敵なデザイン。

93年前、23歳の江川青年が奮闘して出版した「ルウベンスの偽画」

本文の前後に空白のページ、ギャルドブランシュを4ページずつはさんだり、伝統的な製本方法に忠実。

さらに本文をご覧になって先生は「本文の天地と右の余白が黄金比になっている」と教えて下さる。

そういえば、空白がたっぷりあるようでいて微妙にそのバランスが違う。

江川青年が意識的にこのバランスを変えていたと知る。

さらに先生は奥付の「精興社印刷」という文字をご覧になって、「やっぱり」と言われる。

なんと精興社は今でもあって、この美しい活版印刷の文字に近い精興社書体というフォントを使われているそう。

作家さんの憧れは「精興社で精興社書体で印刷、牧製本印刷(広辞苑の製本会社)で糸かがり製本」とも教えて頂く。

たしかに素敵だ!

その他、和紙の修復の世界では「千年もつ」というのが基準……和紙修復のことやら話して頂く。

なんだか日常から離れてとても癒された時間だった。

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さりはま書房徒然日誌2025年11月26日(水)

丸山健二『千日の瑠璃 終結7』より八月十四日「私は長談義だ」を読む

若き僧侶とその雇い主であるボート小屋の親父の間でかわされる「湿って濁った断片的な言葉」

二人は豪雨のあと、周囲の伐採された山から土砂が流れ込み濁ったうたかた湖を眺めながら会話する。

モノトーンの墨絵の世界が似合いそうな会話に、「揚げパンを頬張っては牛乳を飲み」という現実感あふれる文がリアリティを添えている。

丸山先生が書く食べ物は、本当に日常にあるありふれた食べ物だけだ。

そのせいで作品の世界がとても近くなる気がする。

僧侶は
   この湖はもうじき死ぬと言い、

おやじは
   この世に死なないものなどはないと言ってから
      問題なのはその死に方であって
         これは最悪の末路であると決めつけ、

ついでふたりは
   昼食の揚げパンを頬張っては牛乳を飲み
      遣る瀬ないその視線を
         湖面からおのが内面へと移して
            似たようなため息を漏らした。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』330ページ)

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さりはま書房徒然日誌2025年11月24日(月)

丸山健二『千日の瑠璃 終結7』より八月十二日「私は洞窟だ」を読む

訳あって家を失ってしまった若者が転がりこんだ洞窟。

その洞窟が語る若者の追い詰められた心情。

その心をよく見つめていながら、「洞窟」という第三者?に語らせることで冷静な視点を保っているように思い、その分感動が強まる気がする。

遣りきれない孤独感も
   底なしの虚しさも
      容赦のない煩悶も
         好き勝手に出入りして
            自由に暴れ回るのだが、


(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』323ページ)

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さりはま書房徒然日誌2025年11月22日(土)

丸山健二『千日の瑠璃 終結7』より八月十一日「私は容態だ」を読む

錦鯉を毒殺された怒りのあまり寝込んだ世一の叔父。

世一を連れて兄が見舞いにくる。

世一をここに残して欲しいと願う叔父の言葉に、何もできない筈なのに癒しを与えてくれる世一の不思議な力を思う。

世一にそんな力を考えた視点に、弱い者を描きつつその力を信じる丸山文学の魅力を思う。

手土産の羊羹を置いて帰ろうとする兄に
   甥を残していってくれないかと頼み、

「こんな鬱陶しい奴がいたんじゃ下がる熱も下がらんぞ」
   「むしろ気が休まるんだ」という
      そんなやり取りの後、

(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』319ページ)

本当に至福の時に思える。

甥は私に寄り添うようにして寝そべり
   心が通じ合った者同士に成立する沈黙の心地よさに浸っていると


(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』319ページ)

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さりはま書房徒然日誌2025年11月21日(金)

並装から上製本へ改装 その1

昨日は中板橋の手製本工房まるみず組へ。

しばらく並装から上製本へ、糸かがりで改装本にするレッスンを受けることに。

短歌の会でお世話になっている方の歌集を題材に。

まず分解して分からなくならないように、ノンブル(ページ数)の入っていないページも特徴をメモ。

16ページ一折の折丁にした場合、何折と何ページになるか計算。



短歌の場合、作業をしながらしみじみ心で口ずさみながら作業出来るのがよい。

これが自作だと、改装するより文章を丸ごと書き換えたくなってくるから、あまり自作ではやりたくない。

ノリボンドでしっかりくっついている本文、見返し、表紙を、じわじわ力を入れて剥がしてゆく。

破ることなく分解成功。

ヘラでノリボンドを背中に押しながら、一枚ずつ剥がしてゆく。

剥がしながら歌を読み、のんびり剥がしてゆく。

ノリボンドが厚く塗られているので結構力がいる。

本文も一枚ずつ剥がして分解完了。

真ん中の千歳飴みたいなのが、並装の本を支えているノリボンド。

先生に「ノリボンドは劣化しないのですか?」と訊く。

やはりノリボンドも空気に触れ、乾燥してゆくうちに劣化して、パキッと割れてしまうとのこと。
同じように紙も劣化してゆくとのこと。

関西の修復工房の方も

「今、ホチキスでとめていた頃の雑誌のホチキスが一斉にボロボロになる時期にさしかかっている。

全国の図書館からホチキスから和綴にしてもらいたいと修復の依頼がある」と言われていた。

ノリボンドもホチキスと同じように一斉に劣化、糸かがりでない本がバラバラになる時期がくるのだろう

本も読んでもらうためのエコノミーな本、それからタイムカプセル的発想で長い時間に耐えられる製本で作った本と分けて作ってもいいのかも。
タイムカプセル本は図書館に寄贈して。


などと思いつつ本日の作業はおしまい。

次回までに見返しに使う赤い紙、

本文の前後に挟んで保護するギャルドブランシュに使う本文と似た紙を用意しなくては。

多分和紙を細長く切って、各ページの端に貼り付け、糸でかがっていく作業なるのだろう。

どうかうまくいきますように。

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