さりはま書房徒然日誌2026 年2月4日

丸山健二『千日の瑠璃 終結8』より九月十二日「私は対面だ」を読む

まほろ町の別荘地に狂女の娘を追いやった両親と娘の久しぶりの対面が語る。

以下引用文。早々と娘の元を立ち去る両親。そしてそこに通りかかる世一。

丸山先生は小学校時代、理由もなく特殊学級で過ごされたせいだろうか。

弱い者を見捨てる強者の薄情、弱い者のつながりの強さへの思い……が、この世を見つめ小説を書いている原動力の一つなのだなあと思う。

それどころか
   田舎町をすっぽりと包みこむ夜に
      普通に育たなかったわが子が呑みこまれ
         溶けて消えてしまうことさえも本気で願いつつ
 
           次第にクルマの速度を上げ、

(丸山健二『千日の瑠璃 終結8』48ページ)

ところが
   その少年のけらけらという
      遠くまで届く笑声を聞き慣れている狂女のほうは
         むしろ深い安らぎを覚えて
            私の余韻に涙を擦りつけることをやめ
               歓迎の意味を込めて
                  手を振る相手を素早く取り替える。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結8』49ページ)

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さりはま書房徒然日誌2026年2月3日(火)

丸山健二『千日の瑠璃 終結8』より九月十一日(火)「私は夜だ」を読む

まほろ町「全体をすっぽりと覆い尽くす 寂寥たる夜」が語る。

以下引用文。夜は丸山先生の見つめるこの世の厳しい姿にも思え、そして少年世一は理想とする人間の在り方なのだなあと思う。

それから私は
   卑金属と貴金属のいかんともしがたい隔たりを
      闇の力をもって一挙に縮め、

夏の風と秋の葉の境目を
   ふとした拍子に鮮明にし、

なお生きつづける水と
   あとはもう死ぬしかない水とを明確に分ける。



されど
   光と闇を隔てなく縫って進み
      意識することなく愛の断片をばら撒き
         この世に対して繊細な観察を加え
            どこまでもおのれの取り決めに従って生き
               滅多に涙を見せぬ
                  まさに無頼そのものの少年世一に対しては
                     どうこう言えた義理ではない。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結8』45ページ』

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さりはま書房徒然日誌2026年2月2日(月)

丸山健二『千日の瑠璃 終結8』より九月九日「私は言い分だ」を読む

少年世一が世話をして飼っているオオルリは、実は飼ってはいけない鳥。

オオルリの存在を知った野鳥の会の会員がやってきて「飼ってはいけない」と警察への通報をちらつかせながら言う。

以下引用文。

たまりかねた母親の言葉。

母親は世一を厄介者扱いしていながら、でもやはり世一のことはよく理解しているのだなあと思う。

あの子がオオルリを飼っているのではなく
   あの子がオオルリに生かしてもらっているのだと
      そう激しくまくし立て、

「杓子定規のあんたらにはわからんでしょうがね!」と
   脳天から声を絞り出す母親は
      おのが言葉の正しさに改めて感動し、


(丸山健二『千日の瑠璃 終結8』より36ページ)



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さりはま書房徒然日誌2026年1月29日(木)

製本応用講座&パッセカルトン講座

製本応用講座

29日は中板橋の手製本工房まるみず組へ、製本応用講座とパッセカルトン講座の二つを受講してきた。

歌集の改造本もバラした本文をようやくかがり終え、表紙の革を切り出すところまでようやくきた。

今回、背のボール紙は入れないでふんわり革で包む感じに。

背側にノリがはみ出さないように注意しつつ、ボール紙を貼る。

でも端の部分の塗り方が甘く、ボール紙がうまくつかない。再度、先生にやり直して頂いて、ようやく密着。

手術用メスで四隅と背の天地部分の革を薄く削いで、ボール紙をくるんだ時に盛り上がらないようにする。

だがメスがうまく動いてくれない。難しい。

ようやく表紙を革で包む。

この本は贈呈用なので、タイトルは箔押し屋さんにお願いすることにした。
一行から箔押ししてもらえるなんて!楽しみ!

パッセカルトン講座3回目

パッセカルトンは細かな作業が多く、早い人で百回くらいかかると言う。

そんな長い道のりの三回目。

ようやく三冊の糸かがりの本を表紙、各折丁にバラした。バラすのもページを破きそうになったりして色々気を遣うもの。

作業の合間に先生が教えてくださる本や印刷やらの話を楽しく伺ううちに、あっという間に終了。

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さりはま書房徒然日誌2026年1月28日(水)

丸山健二『千日の瑠璃 終結8』より九月七日「私は水だ」を読む

土砂流出を防ぐ工事のあと「うたかた湖を満たす瀕死の水」が語る。

『千日の瑠璃』が最初に書かれたのは1992年。

そろそろバブルが終わろうとしていた頃だ。

金の勢いに任せて地方の自然まで荒らされていく様子を、水の視点から語る。

あの時代に語らなければいけないことを、こうして文字にしてくださっていたのだなあと思いつつ読む。

湖岸の山をほんの少し削り取られただけで生じた
   めまぐるしい一連の変貌に
      私はもう付いてゆけなくなって
         日ごとに浄化の力を落とし、

開発と破壊の因果関係の歴たる証拠を目の当たりにした
   数少ない心ある住民たちは
      心底から悲しみ
         そして

            本気で怒っている。

(丸山健二『千日の瑠璃 終結8』26ページ)

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さりはま書房徒然日誌2026年1月27日(火)

東秩父和紙の里へ

中板橋の手製本工房まるみず組が企画してくださった東秩父和紙の里紙漉きツアーに参加した。

このツアーは去年も確か同じ時期に参加した。でも風景が少し異なっていたり、新たな発見があったり……。

例えば紙漉き工房裏手にあるコウゾ畑の風景。

去年は刈り取られる前のコウゾがワサワサしていた。

今年はすっかり刈り取りが終わって株だけになっていた。↓

コウゾは一年で2メートルも成長するそう。

↓コウゾの株。

コウゾは一年でこんなに太くなる。

でも和紙にするのは表皮と芯の間にある薄い皮の部分だけ。これだけの株から取れる和紙は、ほんの僅かだそうである。

工房の長はまだお若い女性職人。その方に色々丁寧に説明して頂く。(それなのに記憶違いも多分多々ある私の情けなさ)

工房の中では、コウゾが産地ごとに分けられている。

地元のコウゾの他に、土佐のコウゾもあれば、タイのコウゾもある。どれも産地の人が丁寧に皮を剥いてくれている。

植物なので虫食いなどがあるが、そういうところは除けないと、後で煮た時に繊維がそこだけ固くなってしまうそうだ。

剥くのも大変、虫食いを見つけてどけるのも大変である。
ちなみに私は「ここが虫食いの跡」と言われても、まったく分からなかった。

コウゾは外の水槽に数日浸して柔らかくするそう。

水は井戸水とのこと。そのため手を入れると、風の冷たさに比べそれほど冷たくはない。

確か灰汁とか入れて煮る……と言われていた。

↓繊維を一本ずつ確認。黒いチリのある繊維をどけていく。これをしないと、最後、紙に黒い点々が残ってしまうそう。

叩く

機械で叩く場合。↓

でも機械で叩くと鉄の粉が混じることもあるため、人力で叩いた方がよいとのこと。

人力で叩く場合、木の棒で叩く。↓

説明してくださった紙漉きの若い女性は、このくらいだと一時間ほど時間をかけて叩くと言われていた。

私もトライしたが、30秒でヨタヨタした。大変な作業である。

↓和紙の繊維を均一にしてくれるトロロアオイの根を引き上げている。

でもトロロアオイは暑さに弱く温度管理が大変とのこと。

化学薬品で代替えも可能な世、管理の難しいトロロアオイを使用するとその分コストが上がることもあるらしい。

和紙本来の良さを追求するには、コストアップも仕方ないのである。

↓これはトロロアオイだっただろうか?

↓漉き舟。これがいわゆる紙漉きのイメージだと思う。

漉き舟に水、コウゾ、トロロアオイを入れて、すのこを動かしながら紙の繊維を残す。

「紙を漉いていないと、漉きたくなってくる」と午後の体験で職人さんが言われていた。
大変な作業だが、無心になれるひとときなのかもしれない。

ただ、こうした道具を作る職人さんが絶えつつある現状を心配されていた。

和紙は道具、材料となる植物、和紙を漉いてくれる人……それぞれが危機にあるのだ。

↓水をここで絞る。

温水が中を通っている鉄板に漉いたばかりの和紙をはり、刷毛で撫でて密着させる。

ハケの激しい擦り減り方を見ると、これも力仕事であるらしい。

「熊毛」とハケにあるが「馬毛」とのこと。強い熊にあやかったらしい。

午後は小さな漉き舟で和紙づくりや葉書作りにトライ。

花を用意してくださっていたので、漉いた和紙に散らしてみた。

和紙は作る段階から手間暇かけて、次の人に手渡していくのだなあと思った。

大変だけど、そうしたバトンタッチ的作業が背景にあるから、和紙には温もりや魅力があるのだろう。

そして現代の無駄を省くコスト至上主義から守らないと、途絶えてしまいかねない存在でもある。

色々貴重な学びをさせてくださった東秩父和紙の里の方々、まるみずの先生に感謝!

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さりはま書房徒然日誌2026年1月24日(土)

丸山健二『千日の瑠璃 終結8』より「私は雨食だ」を読む

「まほろ町の谷という谷をさらに深く掘り下げ のみならず 開発の待ちぼうけを食わせている住民の心まで抉る 容赦のない雨食」が語る。

「雨食」とは聞き慣れない言葉だが、雨による土地の侵食とのこと。

「雨食」に人の心の有り様を思う作者の言葉、「雨食」を心に抱える老若男女、具体的な一人一人の姿……が印象的。

長い分だけ浅い眠りから目覚めた人々は
   夜風にかき乱された胸のうちを
      いつも通りに修復するまで大分手間取り、

どうにかそれが済むと
   今度は私によって穿たれた穴の大きさと深さに気づき、

(丸山健二『千日の瑠璃 終結8』18ページ)

床の間に生花を活けていた宿の女将は
   私のせいで胸を抑えながら
      「ああ」と小さく叫び、

春を知る年頃を迎えた
   向こう意気の強い小娘は
      私のせいで鼻歌を中断する。

(丸山健二『千日の瑠璃 終結8』20ページ)

先日、オンラインサロンで丸山先生は

「歳をとるにつれて心の風穴が増えてくる。趣味、勉強、あるいは犯罪で風穴を一時的に忘れることは出来ても、消し去ることは出来ない」

そんな話をされていた。

雨食とは心の風穴そのものなのかもしれない。

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さりはま書房徒然日誌2025年1月19日(月)

丸山健二『千日の瑠璃 終結8』より九月四日「私は土産話だ」を読む

「耳をつんざく雷鳴をものともせず 気晴らしの小旅行から帰ってきたばかりの老人がする」土産話が語る。

長患いで寝ている妻が聞き役だ。

以下引用文。
「干割れた餅」という比喩が映像的に浮かんでくる不思議さを思う。

まるで干割れた餅のごとく横たわっている老女に
   私は次々に語って聞かせ、

生まれて初めて機上の人になった感動
   大都市にひしめく夥多なる人口
      そこに櫛比する高層建築物が放つ狂気の沙汰


(丸山健二『千日の瑠璃 終結8』15ページ)

「干割れた餅のごとく」は、映像が浮かんでくるような言葉だ。

老女には失礼な比喩かもしれないが、餅という形状が変化してゆく食べ物が老女の一生と重なる気がする。

その直後にくる「夥多」とか「櫛比」という難しい言葉が、老女の干割れた餅のような肌に染み込んでゆくような面白さを感じる。


そして少年世一が近づいてくる。

以下引用文。

稲妻と世一の「刹那的な影」が、老女だけでなく詠み手の心も静かに圧倒する。

稲妻によって窓にくっきりと映し出される
   近頃めっきり鳥の形姿に似てきた病児の
      どこまでも刹那的な影と
         私が放つ仄かな光が
            互いに相映発して
               寝たきりの老女に取り憑いている
                  塞ぎの虫を完璧に押さえこんでしまう。

(丸山健二『千日の瑠璃 終結8』17ページ)

突拍子もない言葉が読み手に深く染み込む比喩と、突拍子もないだけで終わる比喩。いったい何が左右するのだろうか?

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さりはま書房徒然日誌2025年1月15日(木)

製本応用講座&パッセカルトン講座

中板橋の手製本工房まるみず組へ。

午後「パッセカルトン講座」、夜「製本応用講座」のダブル講義。

製本ドリルも二枚。紙の目を間違えて盛大に間違えた。

尺や寸など使い慣れない単位も出てきた。でも襖とかのサイズによく合っている単位だと知る。

パッセカルトン講座

今日もひたすら本を解体してゆく。

本の背には、製本のとき順番の目印になるようにタイトル、何折目かという情報が印刷されている。

折丁をかがる糸をスパチュラでつまんでハサミでパッチンと切る……。

結構時間がかかって、三冊のうち二冊半まで終了。あと半冊残っている。

製本応用講座

並装の歌集を上製本にするプランも、本体に寒冷紗とクータを貼り、段々終わりが見えてくる。

タイトルに赤という言葉のある歌集なので、見返しも赤、先生の助言で花布も赤にしたら、なんだかオシャレ。

表紙の革を切り出す。

裏に印をして切り出すのだが、シャーペンだと表に影響するのでサインペンの方がよいとのこと。

革は適当にしまってよいのかと思っていたら、皺ができたり、カビが生えたりするとのこと。
上から押されないように、乾燥した場所で保管しなくてはいけないらしい。

函も作りたいけど何色が……と先生に相談する。

先生はにっこり笑って「ここまで赤できたなら、函も見返しと同じ赤にしましょう」

たしかに『赤色(セキショク)』というタイトルの歌集にふさわしいかも…。

順調に作業していたように見えるかもしれないが、今日もミス。

頭も目もぼーっとしてきて先生が渡してくださった寒冷紗のロールを、トイレットペーパーと思ってうっかり手を拭くのに使いかけてしまった。恥ずかしいかぎり。

まるみずの先生のおかげで大胆に赤を使うことができ、おしゃれな本ができそうで楽しみである。

まるみずの先生の本へのセンスの良さは、本屋で目立つことを一番に考える編集者やイラストレーターとは別次元……と、あらためて今日思ったことが……。

私が自作をせっせと一折中綴じにした「追憶の赤いカンテラ」を見て頂いた。

私が「これでもいいけれど、どこかにちぎり絵で炎のワンポイントを入れたい気もする」と相談したら……。

先生は考えて、カバーの下の本体の部分に入れてみたら……と助言くださった。

カバーをめくったら炎があらわれる……のはオシャレではないか。

編集者やデザイナーにとって、本は一次元の存在かもしれない。

でも、まるみずの先生は本をめくる時の動作と喜びまで想像して作っている。三次元の存在……なのだと思った。

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さりはま書房徒然日誌2026年1月13日(火)

丸山健二『千日の瑠璃 終結8」より九月一日「私は鼻環だ」を読む

子供のいない夫婦がペットとして飼う牛。その鼻につけられた鼻環が語る。

以下引用文。鼻環を相手に牛は自由への思いをぶちまける。

きっと牛がただモーモー鳴いている風景に、自分の思いを展開する丸山先生の視点に面白さを感じる。

さらには
   動物における真の自由は何かということについて
      ああでもないこうでもないとぶちまくり、

そのとき牛の耳は
   虚弱体質とはちょっと異なる少年の独り言を捉え、

同時に

   澄みきった瞳が
      草原に延びる赤土の道と
         過去の片鱗も留めぬ陽光を
            くっきりと映し出した。

柵を蹴破ってそっちへ向かう際
   牛は私に「おまえにも広い世界を見せてやる」と言い放った。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結8」5ページ)

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