さりはま書房徒然日誌2025年12月22日(月)

丸山健二『千日の瑠璃 終結7』より八月二十三日「私はきょうだ」を読む

「きのうと寸分変わらぬ おそらくあしたもだいたい同じだろう 少年世一が迎えつづけるきょうだ」が語る。

「きのう」「あした」「きょう」と平仮名にすると、見えない時の流れという感じが強くなる気がする。

以下引用文。普通に書いたら「世一は遠回りをしました。地蔵に気がついて蹴りました」という文になるのだろう。

でも、こう書くことで世一の無邪気さ、浮世離れした強さ、微笑ましさが出てくるような気がする。

私を引き連れた世一は
   そっちへ行くと遠道になるのを百も承知で進み、

おめでたい顔をして路傍に立っている地蔵に
   コブラツイストの荒技を仕掛け、


(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』367ページ)

以下引用文。丸山先生らしき怪しげな男もまいてしまう世一のどこか不思議さ。

それから世一は
   自分を執拗に付け回すサングラスの男を
      昼なお暗い森へ誘いこんで撒いてしまい、


(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』368ページ)

以下引用文。世一の一日を語ったあとの最後の文。

この文で「では私は?」と考える旅へ出てしまい、頁をそこで閉じてしまう

こうして私は
   果たすべき課題などひとつもない毎日と

      飽きもせずに付き合っている。

(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』369ページ)

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