さりはま書房徒然日誌2024年12月4日(水)

丸山健二『千日の瑠璃 終結5』より十一月八日「私は水晶だ」を読む

十一月八日は「私は水晶だ」と、世一の亡くなった祖父と世一しか存在を知らない、岩の奥にひっそりと存在する水晶が語る。
『千日の瑠璃』は「私は◯◯だ」と物に語らせる掌編を千以上書いてから、床に散らしたその文を拾いあげ、だんだんと一つのストーリーにしていった……というような成立過程を、丸山先生のオンラインサロンで伺った記憶がある。

以下引用文。
このあたりで欲望について記した文をまとめたのだろうか……という気もする。


一つ前の十一月七日では、世一の家族に大金を掲示して、丘の上の家と湖を結ぶケーブルカーの話をする女二人が出てくる。

十一月八日は、ひっそりと存在することに飽きてしまった水晶が、欲望の視線を求め、こう語ってみせる。

以下引用文で人間の欲望について語る水晶。その姿の不思議な佇まいに読んでいる方も思わず手に取って眺めてみたくなって、自然に欲望にかられてしまう。

私が見たいのは
   欲望を剥き出しにした
      ぎらぎらと燃えるような眼であり、

徒労とわかっていながら
   なお執拗に迫ってくる
      擦過傷だらけの腕であって
         それ以外ではなかった。

その辺にいくらでも転がっている石ではなく
   豆粒大のちっぽけな水晶でもない
      稀有な私は
         その中心部に青い鳥の羽毛を閉じこめている
            まさに奇跡の宝石なのだ。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結5』17ページ)

 

カテゴリー: さりはま書房徒然日誌 | タグ: , | コメントする

さりはま書房徒然日誌2024年12月3日(火)

丸山健二『千日の瑠璃 終結5』より十一月六日「私は神輿だ」を読む

十一月六日は「私は神輿だ」と、「神輿」がまほろ町の住人たちを語る。

以下引用文。神輿が少年世一に呟かせる「高がこれしきの世を生きるのに 何を斟酌する必要があろうかという」という言葉、そういう思いはあっても、やはり祭りの勢いの中でないと呟けない、強気な言葉なのかも知れない。いや普段から、こうした思いを抱いて生きたいもの、と思った。

最後に私は
   酒なんぞ飲まなくても四六時中千鳥足で歩くことが可能な少年に
      高がこれしきの世を生きるのに
         何を斟酌する必要があろうかという
            そんな意味の言葉を呟かせ、

とはいえ
   それが本当に彼の口から出たのかどうかは疑わしく、

ひょっとすると
   彼自身の魂から迸り出た
      天の声なのかもしれない。


      
丸山健二『千日の瑠璃 終結5』9ページ

カテゴリー: さりはま書房徒然日誌 | タグ: , | コメントする

さりはま書房徒然日誌2024年12月2日(月)

丸山健二『千日の瑠璃 終結4』より十一月四日「私は徘徊だ」を読む

十一月四日は「私は徘徊だ」と「子どものいない夫婦によって ペットとして飼われているホルスタイン種の牛が ふと思いついて深夜に試みた」徘徊が語る。
丸山先生をどこか思わせる夫妻である。牛は飼ったことはないと思うが、大型犬を飼われていたとき、こんな脱走劇があったのでは……と想像してしまう。
以下引用文。そんな脱走を試みるペットの心情に、自分の理想とする生き方とのギャップを重ねた文が心に残る。
そういう満ち足りた環境から脱出したい……と思う心から、まず言葉が、文学の芽が生まれてくるものなのかもしれない。

何不自由ない暮らしと
   惜しげもなく注がれる慈愛に
      押し潰されるのではないかと危惧した牛は
         降り注ぐ青々とした月光に刺激されて悶々とし

(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』398ページ)

カテゴリー: さりはま書房徒然日誌 | タグ: , | コメントする

さりはま書房徒然日誌2024年11月30日(土)

見台の敵を知る

根津美術館で開催された浄瑠璃「傾城阿波鳴門 順礼歌の段」を聞きに行く。太夫は呂勢太夫さん、三味線は藤蔵さんである。

この企画は、阿波徳島藩主・蜂須賀家に伝来した重要文化財「百草蒔絵薬箪笥」の展示に合わせたもの。ぜひ徳島ゆかりの浄瑠璃を美術館で!と文楽好きの学芸員さんが願い、実現したとか。ありがたい限りである。


浄瑠璃の前に呂勢太夫さんのお話が20分ほどある。呂勢太夫さんは、若太夫襲名のときの口上も鮮やかであったが、本当にこういうトークも軽妙洒脱、ユーモアと博学の混ざった語りが楽しい。


色々印象に残る話をしてくださったが、そのなかでも特に記憶に残ったことをひとつ。

それは漆で塗られた見台は乾燥に弱い、ということ。劇場は乾燥しているので、見台が一日でひび割れたりすることもあるとか。そんなに乾燥しているとは!意外であった。

見台がそれほど傷むなら、人形のお肌や髪もダメージを受けるのでは?などと思ったりもした。新しくなる筈の国立劇場が、太夫さんが見台へのダメージを心配することなく置いておけるような劇場になれば、とも思ったりした一日であった。

↑呂勢太夫さんの今日の見台。見台の漆細工は客席からよく見えるようにデザインされたものが多く、根津美術館に展示されているような近くで眺める漆細工とは趣が違うそうだ。

カテゴリー: さりはま書房徒然日誌 | コメントする

さりはま書房徒然日誌2024年11月29日(金)

丸山健二『千日の瑠璃 終結4』より十月二十九日「私は想起だ」を読む

十月二十九日は「私は想起だ」と、「少年世一のどこまでも不完全でありながら 同時に完全でもあり、 万事にあけすけな脳から次々に生まれる 変幻自在の想起」が語る。

以下引用文。
私たちの脳裡をとりとめもなく過ぎっていく想起の数々。
いったい何処から生まれるのだろう。過去の日々か現在の無意識か未来の予感、それとも別次元に存在している知らない私の記憶?
理解できていなかったり、意識になかったり、そのときには意味もなかった場面や言葉が浮かんでくる記憶の不思議さを思う。
たしかに「想起」こそ人間の証拠なのかなあと思う。

ときとして彼は
   生まれてくる前にどこかで得た体験とどこかで仕入れた知識でもって
      私を仰天させることがあり、

たとえば
   笛や太鼓に囃されてひと差し舞った日々や
      たとえば
         立憲君主制の打倒に欠かせぬ言葉の数々が
            突如として甦ることが間々あり、

それこそが
   人間のなかの人間である
      何よりの証拠なのだ。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』375ページ)


カテゴリー: さりはま書房徒然日誌 | タグ: , | コメントする

さりはま書房徒然日誌2024年11月28日(木)

和綴じ・麻の葉綴じにトライする……難しい、でも楽しい!

まるみず組製本基礎コースで、和綴じ・麻の葉綴じにトライする。
かがり糸が一筆書きになるように、麻の葉模様になるように考えた昔の人はすごい。中国の綴じ方を部分的に取り入れた麻の葉綴じ(と思う)は、アジアの知恵が詰まっている。

そんな知恵の結晶、スイスイ作るのは難しい。

今日もかがっている途中で「あれ、変!」と思うこと二度。その度に糸を解いて後戻り……しようとしても和綴じは丈夫、頑丈。中々解けない。自分の失敗を解くことすら出来なくなって先生に解いて頂く……こと二度。情けない限り。

私は麻の葉を見たことがないが成長旺盛で、健康に育つシンボルだそう。そんな願いを糸で表現する昔の人の雅を感じながらの麻の葉綴じ。また家で練習して、今度はしくじらないようにしたい。

↓今回は裏打ちした布を表紙に使用。柄物だと穴の印が見にくいことに気がつく。糸に悪戦苦闘しているうちにヨレヨレになってしまい、本文が表紙からはみ出している!

天地を半分にしたサイズで作れば、詩集に向くのではないだろうか。和紙で出来た詩集もいい気がする。頑張って復習制作しよう。

カテゴリー: さりはま書房徒然日誌 | タグ: , | コメントする

さりはま書房徒然日誌2024年11月27日(水)

丸山健二『千日の瑠璃 終結4』より十月二十八日「私は棘だ」を読む

十月二十八日は「私は棘だ」と、バラの棘が世一の母を語る。

私は棘だ、

枯れた花を見下しがちな世一の母親の人差し指の腹を突き刺すことにより
   バラとしての威厳を保とうとする
      針のように鋭い棘だ。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』170ページ)

「千日の瑠璃」でバラが出てきたのは、このページが最初だったのではないだろうか。
バラの庭をつくってきた丸山先生が、まず最初に棘に語らせるとは!たぶん手入れをされながら、散々棘に刺されてきたのではないだろうか?
その棘にも「バラとしての威厳を保とうとする」と見るあたりに、バラへの深い愛情を感じてしまう。

カテゴリー: さりはま書房徒然日誌 | タグ: , | コメントする

さりはま書房徒然日誌2024年11月26日(火)

丸山健二『千日の瑠璃 終結4』より十月二十二日「私は教室だ」を読む。

十月二十二日は「私は教室だ」と教室が語る。
まず冒頭の教室の様子や場所を語る「なんとも古びた木造校舎の あやまち川に最も近い教室だ」という言葉に、丸山先生から見た教育の危ない有り様が端的に語られていると思う。

以下引用文。そんな教室の中で育てられる子供たちの姿。これは今も変わらないのだろう。だから不登校の生徒が年々増えてきているのかも、真っ当な感覚の持ち主なら耐え難いものがあるのかも、と思った。

これまで私が仕立て上げてきたのは
   お上の後ろ盾を得たときのみ屈強になり
      果断な行動に出る
         ロボット的な兵士と
            教唆煽動や威嚇に弱い腰抜けの国民のみで


(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』348ページ)

以下引用文。深夜の教室に少年・世一が忍び込んで、教師役、生徒役を演じる。生徒の言葉に丸山先生が理想とする思いが滲んでいるように思う。


教師は黒板にオオルリの絵を描いて
   「ぼくはこの鳥に従うが、きみはどうかね?」と
       そう尋ね、

すかさず生徒は
   「従わせようとしない者に従う」と
       そうきっぱり答え、

授業はそれきり終了し
   あとに残されたのは
      自立の精神の余韻と
         自由の息吹だ。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』349ページ)

カテゴリー: さりはま書房徒然日誌 | タグ: , | コメントする

さりはま書房徒然日誌2024年11月25日(月)

丸山健二『千日の瑠璃 終結4』より十月二十一日「私は精進料理だ」を読む

十月二十一日は「私は精進料理だ」と精進料理が語る。
丸山先生の作品にはよく禅寺や禅僧が出てくる気がするが、どちらかと言うと批判的な視点で書かれていることの方が多い。ごくたまに神秘的な存在として書かれていることがあっても、揶揄するような視線が感じられる。
以下引用文もそうではないだろうか?

応量器と呼ばれる漆器の鉢に盛られた
   彼らの情よりも薄い粥、

石と石頭で漬けこまれたタクアンと
   胃袋に溜まった怒りを鎮めるためのゴマ塩
      それが朝餉のすべてであり、

昼餉は
   歯応えがあり過ぎる麦飯と
      少しはまともな味がする汁


飛竜頭と名付けられた
   未練がましいがんもどきと
      野菜の煮付けにタクアン、

そして夕餉は
   その残り物。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』342ページ)

禅寺の台所の戸口から覗き込んでいるようなリアルさが、言葉にあるような気がする。
応量器と呼ばれる漆器の鉢に盛られた 彼らの情よりも薄い粥という言葉に、何があったのだろう……禅僧への怒りが「応量器」や「薄い粥」という言葉に皮肉たっぷりに込められている
それにしても禅寺の食器のことを応量器と言うなんて、ここで初めて知った。私には禅寺の精進料理は、身体に良さそうな食事に思えてならないのだが。

カテゴリー: さりはま書房徒然日誌 | タグ: , | コメントする

さりはま書房徒然日誌2024年11月24日(日)

手製本・和綴・四つ目綴じに再度トライ

今月まるみず組の製本基礎講座で四つ目綴じにトライしたばかりなので迷ったが、飯田橋にある本づくり協会で美篶堂さんの四つ目綴じ講座を受けてきた。
こちらでも学ぶこと多々、再度トライしてよかった。

手製本の世界にいる方々は、どこの工房の先生も丁寧に、手を抜くことなく、それぞれ独自の工夫を凝らしている。今の社会には珍しくどこでも同じやり方……ではない。それぞれに良いところがある


そしてどこの工房でも五感をフルに働かせて、私のモタモタの原因を教えてくださる……指摘される私のマズイ点がその都度違う。私って360度改善の余地があるんだ……と驚くやら、呆れるやら、感心するやら。


そうした指摘は、それぞれの先生方の日頃の工夫があるからかなあ……と余り具体的に書かないようにしているのだが、この位なら許されるだろうか……

目打ち(千枚通し)を和綴にあて、かしわ棒(たたく木の棒)で叩き、表紙、本文、裏表紙に穴をあけようとしていた時のことだ。
私の叩く音が「ドンドン」と低くどこか変だ……と先生が耳をすます。それから和綴の押さえ方、かしわ棒の握り方、手首の曲げ方、肘の角度……を色々変えて試してみる。
するとそのうち音が「ドンドン」から「トントン」と高い音に変わって、目打ちが紙にスッと入っていってくれた、アラ不思議。
この話を友人にしたら「そんなことが」と笑っていたが、本当に持ち方が変わると音も変わり、穴もあけやすくなる。


伊那にいらっしゃる美鈴堂の上島松男親方(十五歳で製本職人になられた)は、かしわ棒をとても軽快に打つらしい。伊那の空に親方の「トトントントン」というかしわ棒のリズムが響く様子を想像する。いいなあ…。

多分、かしわ棒も目打ちも日常生活では縁がないから、この握り方の感触をすぐ忘れてしまうだろうけど、「トトントントン」というリズムで本を作る製本職人さん・上島親方の話はきっと忘れない。

カテゴリー: さりはま書房徒然日誌 | タグ: | コメントする