さりはま書房徒然日誌2024年11月23日(土)

丸山健二『千日の瑠璃 終結4』より「私は相似だ」を読む

十月二十日は「私は相似だ」と意地の悪い双子の姉妹の相似が語る。相似が語るとは不思議……な気もする。

以下引用文。
最後の方で相似(今度は世一のドッペルゲンガー)が追いかけるあたりで、丸山文学によく出てくるドッペルゲンガー的世界になる。

「もう一人の世一」とか言わないで「相似」とだけ言い切ることで、もう一人の自分の存在がシンプルに、強く感じられる気がする。
丸山先生によれば、物理学的にもう一つの世界は存在する……とのこと。

彼と瓜ふたつの
   もうひとりの少年を錯覚させてやり、

だから行く先々で
   自分と同一人物に出会ってしまうのだ。

石段で頭を打って人事不省に陥ったおのれを
   湖岸に佇んで怒気を含んだ声を発しているおのれを
      万物を弁えるために生まれてきたおのれを、

はたまた
   宇宙の茫漠たる広がりの一隅にうずくまっている
      救いがたいおのれを
         至るところで目撃する。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』341ページ)
    

この場面を想像しながら読むと、そんな自分に出会ったら嫌だなあ、怖いなあと思う。自分のドッペルゲンガーと遭遇したら近いうちに死んでしまう……という言い伝えがあるのも無理もない気がしてくる。

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さりはま書房徒然日誌2024年11月22日(金)

丸山健二『千日の瑠璃 終結4』より十月十九日「私は鵺だ」を読む。

丸山文学の意外な魅力にこの世と別の次元に彷徨わせてくれる幻想文学的な部分がある。でも昔からの丸山ファンは、そういう風にはほとんど思わない。幻想文学ファンも、丸山健二と幻想文学を結びつけないのが残念である。
以下引用文。怪鳥鵺の飛びまわる様子が幻想的だなあと思う。引用はしていないが、この声を聞いた人々の心の変化も印象的である。

濛々と降り注ぐ陰雨がまほろ町の夜に持ちこまれ
   発情した鹿が林野を駆け巡るのをやめ
      沼沢地で水禽が灰色の眠りに就く頃、

私は密かに山を下り
   屍蝋と化した獣のかたわらをすり抜け
      古い町並野外れに存する
         これまた古い神社へと潜りこみ、


そして
   落雷やら人々の願いやらに捻じ曲げられた
      杉の御神木の梢に止まり、


弱者の耳朶を打つ奇声を
   おもむろに張りあげる。

丸山健二『千日の瑠璃 終結4』337ページ

エックスの投稿を読んでいたら、ある物書きさん&編集者&蔵書家の人が、「日本の小説家はもっと真面目に小説を書いてほしい。ぜんぜん面白くない」と書かれていた。
エックスの短い文だと意図されていたところはよく分からないが、小説とか短歌や詩文はこの現実世界への鵺の叫び声的部分もあるのでは……ギョッとしたり息を止めることがあっても、面白さだけを求めるのは違うんじゃないだろうか……そんなことを思ったりもした。

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さりはま書房徒然日誌2024年11月21日(木)

製本基礎講座で和綴じ・亀甲綴じ・くるみ綴じにトライする……亀甲がバラバラだ

手製本工房まるみず組の製本基礎コースも今日で七回目。モタモタしつつも丁寧なご指導のおかげで何とか七回目を迎えた。

手製本は非日常的な作業。しかも私は不器用。なので毎週一度一年の講座は、ちょうど忘れた頃にやる感があってよい。
ちなみに二年かかるが月一度、一日午前午後とフルに受ける同じ基礎講座もある。
だが私の場合、一つ作るだけで頭がパンパンになる気がするので、週に一度通う今のペースがいい気がする。

五回目から講座開始前に復習の製本ドリルというものがスタート。二問くらいのドリルで、ちょうど理解があやふやなところ、大切なところを復習できるので有難いし、この歳でドリルという体験も新鮮である。


製本講座も毎回少しずつ反復しながら複雑な(私にとっては)内容に進む感じで、覚えては忘れ、思い出しては忘れ……の繰り返しが良い。


和綴じも前回が四つ目綴じ、今回が亀甲綴じ、次回が麻の葉綴じ……と複雑さがアップしていく。


前回四つ目綴じをやったのに、もう忘れている。糸でかがっている途中で形が変なことに気がつく。後戻りしようにも和本の綴じ糸はすごく頑丈で解けない。
なんとか完成したが亀甲の模様がバラバラ。


でも先生のは形も大きさも同じ亀甲が並んでいて素敵!
和綴は作りやすい、軽い、丈夫……の利点がある。自分で日常的に読む本や書き溜めた文や短歌のアウトプットは、和綴で作りたいなと思った。

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さりはま書房徒然日誌2024年11月20日

丸山健二『言の葉便り 花便り 北アルプスの山麓から』より「駄目なものは駄目」を読む

「ソメイヨシノを軸にした有名観光地の桜のたぐいは間違っても植えまい」と決心した丸山先生。柑橘系の方向を放つ「匂い桜」という品種を数本植え楽しまれていたのだが、ある大きさになると弱り、枯れ始め、やがて全滅。
桜から撤退するも「庭にぽっかりと生じた虚無的な空間を他の草木では埋められない」とマメザクラを五本植え、やがて開花。

「駄目なものは駄目なんですよ」とは、植物に詳しい知人の言い得て妙なる真理です。

「植えてみて十年くらい経たなければわかりませんよ」もまた彼の名言なのです。

(丸山健二『言の葉便り 花便り 北アルプスの山麓から』28ページ)

 私はヒメシャラのツルツル光る赤みを帯びた樹皮が好きなので、家に植えてみた。植えて十五年経過した。まあまあ元気だったのだが、今年の暑さが暑さに弱いヒメシャラにはこたえたようで半分くらい枯れてしまった。さて、どうしようかと途方に暮れている最中なので、この言葉が心に沁みた次第である。
(↓ヒメシャラ。花は椿みたいな白)

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さりはま書房徒然日誌2024年11月16日(土)

丸山健二『千日の瑠璃 終結4』より十月十八日「私はルアーだ」を読む

十月八日は「私はルアーだ」で始まる。まほろ町に駆け落ちしてきた青年が悪事に手を染め、その代わり豊かになって、うたかた湖で釣りを楽しむひとときが描かれている。
以下引用文。この何も考えていないように思われる青年の、なんとも頼りない無軌道さ。釣りに不安、遣る瀬無さを紛らわす姿。そうした心がルアーさながらまやかしの派手な色となって、眼前に漂って見えてきそうな気がする。

竿がぐっとしなって
   私がびゅっと飛び出して行くたびに
      彼の未来は
         さほどの根拠もなく
            湖面のように輝く。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』331ページ)

裕福の味の片鱗を知った彼は
   タバコ銭にも困っていた
      ちょっと前の自分を
         私の先に引っかけて湖底へ沈め、

それと同じようにして
   駆け落ちを決意した際の情熱やら
      貧苦に耐える力やら
         異郷で暮らす侘しさやらを
            山上湖のあちこちに投げ捨てる。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』333ページ)

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さりはま書房徒然日誌2024年11月15日(金)

丸山健二『千日の瑠璃 終結4』より十月十六日「私は少数意見だ」を読む

十月十六日は「私は少数意見だ」で始まる。「まほろ町の議会において少しも尊重されず 相手にもされないで あとはもういじけるしかない 他勢に無勢もいいところ」の、裏社会の人間の権利を擁護しようとする少数意見が語る。

丸山文学の魅力に、少数意見の立場、見方をよく行き届いた、愛情深い筆致で書いている点があると思う。
以下引用文。少数意見をねじ伏せようとする議員が「自分たちの体にも良い細菌だけが巣くっているわけではなく 悪い菌もうじゃうじゃいて そのバランスが命を保っている」と語る。

反対派は「あの菌は 数が少なくても命取りになりかねぬ最悪の菌ではないか」と反論する。

そのときある声が響いてくる。自分たちが正しい、強いと思い、少数意見を菌扱いする心の思い上がりを静かに語ってくるような場面。

するとそのとき
   「何もおまえらが良い菌とは限るまい」という
       そんな声が議場に飛びこんできて、

痛いところを突かれた一同は
   束の間怯んで沈黙し、

ややあって気を取り直し
   きっとなっていっせいにそっちを見やり、

ところが
   窓の向こうにいる人間は
      重い病を背負って歩きつづける
         健気な少年ただひとり。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結4』325ページ)

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さりはま書房徒然日誌2024年11月13日(水)

丸山健二『言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から』より「いいよねえ、この感じって」を読む

「いいよねえ」で五文字、「この感じって」で七文字、最後の五文字はない。丸山先生が五七五を意識したのかは知らないが、何が入るのだろう?と読む前にまず考え、心が惹きつけられる。
そして読み終わった後も、「いいよねえ、この感じって」で一句出来そうで何が入るかと延々考えて愉しんでしまう。

丸山先生は「春一番とおぼしき風が感知された」瞬間、そのあとのご自身の変化、奥様やペットのオウム、バロン君の変化を見えるように書かれ、そういう変化が「いいよねえ、この感じって」なのである。

以下引用文。春一番を感知した瞬間の丸山先生の思い。春一番を感じると、「埃っぽい」「目が痛い」とブツブツ言っている私とは大違いである。この感性の差は言葉に影響大なのだろう……どうすればいいのだろうか、途方に暮れるばかりである。

夢見るような心地の刹那、季節の境界線とやらが眼前を過ったのです。

(丸山健二『言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から』20ページ)

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さりはま書房徒然日誌2024年11月12日(火)

丸山健二『言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から』より「幸福は葉陰から覗くサクランボ」を読む

この章のタイトル「幸福は葉陰から覗くサクランボ」は一字だけ字余りだけど、五、八、五になっている……。
思わず脱線してサクランボを季語にした俳句を眺めてみる。だが、どうもしっくりこない……句が多いのは、日常的な風景のようでいて、実はちょっと高い果物だからなのだろうか。


その点「幸福は葉陰から覗くサクランボ」は、丸山先生の普段目にする光景から自然に出たような勢いがあって、心打たれるものがある。
「葉陰」も、「覗く」も、「サクランボ」も、それぞれの言葉が「幸福」のイメージを醸している気がする。


スノードロップやスノーフレークの花に囲まれている時の心境を記した丸山先生の文に、「幸福とはこういう状態であった……」と教えてもらう気になる。


名前にも、居場所にもこだわる自分の心を反省。「足取りも軽く故郷へと向かう若者の後ろ姿」が脳裏に浮かぶ心境に近づきたいもの。

 そうした救済の意味を込めた小花に囲まれているうちに、自分の名前なんぞは必要に思えなくなり、さらには自分自身の居場所へのこだわりがたちまち薄れてゆくのです。
 併せて、ねじくれていた思考が水平に戻りました。ついで、足取りも軽く故郷へと向かう若者の後ろ姿が、ぽっと脳裏に浮かびました。


丸山健二『言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から』18ページ

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さりはま書房徒然日誌2024年11月11日(月)

丸山健二『言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から』より「この世のいっさいは幻想」を読む

丸山先生の庭仕事は冬の間もお休みにはならないらしい。「落下した枯れ枝を拾い集め」、細かく細断して落ち葉と混ぜて土に還して肥料にする様子が書かれている。


枯れ枝を同じように、かつて飼っていた大型犬たちも寿命が尽きたとき、先生の手で庭の一画に葬られ、やがてそこに美しいバラが咲く。


以下引用文。生と死が隣り合わせている……緊張感のある感覚が、大町の庭を見つめ養われ、丸山先生の小説に根づいているのだと思う。

やがて理想的な養分と化したかれらは、オールドローズやワイルドローズの花を立派に咲かせて、まだ死んでいない人間の目を楽しませたものです。そしてちょっと切ないその感動は、共に過ごしたその時間へといざなってくれました。

丸山健二『言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から』15ページ

枯れ枝を小脇に抱えてしばらくその場に佇んでいるうちに、生と死が延々とくり返されることで成り立つこの世に、なんとも遣る瀬ない愛おしさを覚えるのはどうしてなのでしょう。

「この世のいっさいは幻想なんですよ」と朽ち木が口を揃えて言いました。

丸山健二『言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から』15ページ16ページ

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さりはま書房徒然日誌2024年11月9日(土)

丸山健二『言の葉便り 花便り 北アルプスの山麓から』より「何が面白くて生きるのか」を読む

ー八十歳の作家が語る老いは辛くもあり、癒しもありー

本書の魅力は、八十歳になる丸山先生の心境が率直に丁寧に書かれているところにもあるのかと思う。だいたい男性作家の方は早くに亡くなる方が多い。八十歳の心境をかくも真摯に見つめ書いた男性作家は稀なのではないだろうか。

八十歳になっても「焦燥感」や「不安」や「怯え」から解放されないものか……と生きる辛さを思う。

でも長寿社会ならではの老いに北アルプスの自然を重ね、奥様とオウムのバロン君と共に日々を過ごす生き方には癒されるものがある。


「そう長い寿命を与えられているわけでもないのに、青春時代に覚えたような安っぽい焦燥感に駆られます」11ページ

「一介の凡夫としての私は、生きても生きても悟りの境地とやらに迫ることができず、不安と怯えの数が増すばかりで、救いようがない体たらくです」12ページ


「何が面白くて生きているのか?」とバロン君が毎朝仏頂面で尋ねてきます。 13ページ

丸山健二『言の葉便り 花便り 北アルプスの山麓から』より

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