さりはま書房徒然日誌2025年9月2日(火)

丸山健二『千日の瑠璃 終結7』より六月九日「私はポーチだ」を読む

まほろ町の建てたばかりの別荘のポーチに座って、うたかた湖を見る男。

湖の波の描写が人生のようでもあり、
暮れゆく街の描写も失意の男の人生のようでもあり、
でも最後のところで
そんな心地良い失意の中にいることも許されずに生きなくてはいけないのだと苦味がかすかに残る。

そんな思い出に塗りこめられたあれこれが
   引いては寄せる波のごとく
      半生の岸辺を削り取ってゆく。

いつしか知らず
   私の手摺りにカモメが止まって翼を休め
      町じゅうに鳴り渡ったサイレンの音が消え
         水差しが空っぽになり
            丘の家へ帰って行く少年が闇に呑みこまれており、

ほどなくして
   穏やかに過ぎる夜が
      密やかに舞い降り、

しかしながら
   まだまだ生きなくてはならぬ男は
      依然として私のそばを離れない。

(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』69ページ)

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さりはま書房徒然日誌2025年9月1日(月)

丸山健二『千日の瑠璃 終結7』より六月八日「私は展望だ」を読む

かつてブラジル移民として活躍した男。
父の死後、何かを志すこともなくなって物乞いになった男。
そんな男が世一の家に物乞いにやってっくる。

オオルリは厳しい。
世一の「弁当をかっきり半分」というところがいじましい。


「二人」じゃなくて「ふたり」と表記すると、姿が浮かんでくる感がある。なぜだろう?

オオルリが二階の窓辺で
   「そんな奴に何も恵んでやるな」と鳴き
       「飢え死にがお似合いだ」とさえずり、

それでも少年世一は
   自分の弁当をかっきり半分与え、


崖っぷちに並んで座ったふたりは
   私を前にして
      必ずしも生きるためだけではない
         さりとて明日のためでもない
            険しい昼食を始めた。

(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』65ページ)

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さりはま書房徒然日誌2025年8月31日(日)

丸山健二『千日の瑠璃 終結7』より六月七日「私は若葉だ」を読む

「放火による山火事で真っ黒焦げになってしまった木々の枝を 見事にふたたび彩る」若葉が語る。

今年じゅうには元通りの山になると分かっている昆虫、鳥、そして世一。

一方、待つことができず開発に駆り立てられる大人たちの姿に、丸山先生の静かな怒りを感じる。

無感動にして無目的な日々をだらだらと生きる人々は
   待つことにはもう飽き飽きしたと言い、

自然は甦るという私の持論に
   まったく耳を貸そうとしなかった。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』59ページ)

やがて無惨にも切り倒されてゆく木々。
少年世一の「いいのかな それでいいのか」という震え声が、森の神様の声にも思えてくる。

地肌が露わになって
   形のいい山が単なる土と岩石の塊に様変わりしたとき、

どこからともなく
   少年世一の震え声が届き、

「いいのかな
    それでいいのかな」というその言葉に
       私たちは深い賛同を覚えながら
          ばたばたと斃れてゆく。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』61ページ)

丸山先生に枯れかけた木の相談やらすると、「少しずつ上から切って、芯に水分があるところまできたら切るのをやめて、切口に木工ボンドを塗るように。全部切り倒してしまわないように」とか「その木は種から育てることができる」とか、本当に木や植物を心から慈しんで大切にしているんだと思う。
そんな丸山先生の思いが滲む文である。

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さりはま書房徒然日誌2025年8月29日(金)

丸山健二『千日の瑠璃 終結7』より六月六日「私は離婚だ」を読む

まほろ町にやってきた若いカップルは離婚してしまう。
彼らの住んでいた家に、世一の姉とその恋人がはいることになる。

ストーブ作りの男を「鉄の匂いがする男」と表現したり、図書館勤務の姉を「本の匂いがする女」と表現すると、平板さが消え去り、別の人間が見えてくる不思議さがある。

丸山作品は意外と所々ユーモラスな表現があって、「真っ先に私の気配を叩き出した」も現実を一瞬忘れさせてくれるユーモラスが感じられる表現である。

そしてきょう
   もうじき世帯を持つという
      いささか薹が立った
         鉄の匂いがする男と本の匂いがする女がやってきて
            まず真っ先に私の気配を叩き出した。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』57ページ)

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さりはま書房徒然日誌2025年8月28日(木)

製本基礎講座45回 改装本丸背10/12回 丸背スリップケース1/3回

中板橋の手製本工房まるみず組の製本基礎講座へ。
今日から丸背の本のスリップケース作り。
下の見本の本をもとに色々説明して頂く。
すごく綺麗な曲線!
函の入り口は本と同じ革!
丸背用のスリップケースなんて見たことがないかも!
私に作れるのだろうか……と思いつつ、見本の本を見つめる。

ボール紙を切り出して……

まずは反り防止に紙を貼る。

その上にスウェードクロスを貼ると雰囲気が変わってくる。
ちなみにこれは函の内側部分である。
見えない内側にこれだけ手間暇かける手製本の世界、素敵だなあと思う。
スウェードクロスを貼るのは、本に使われている革を傷めないように配慮してとのこと。
手製本は気配りにみちた世界なのだと思う。

小口部分にやすりをかけて丸みを出していく。
こうした細かい作業が見本の本の優美な曲線を作っていくのだろう。

でも今日も失敗が。
ボール紙にスウェードを貼ってから本を差し込んでみたところ変!
明らかに縦が足りない。
先生に確かめてもらったら2ミリ足りない。

呆然とする私……。
先生は最初からやり直すと大変だからと、足りない二ミリ分のボール紙を切り出してボンドでつける案を示してくださる。


二ミリ足してボンドを塗れば無事にくっついた。
この部分、本に合わせてカットするので二ミリのうち1.3ミリ分くらいはカットしてしまう。でも、やはり足りないと困ってしまう。


粗忽者の私は失敗して困るたびに、先生から切り抜ける方法を教えてもらったように思う。
失敗したとき、柔軟に対応する術を色々教わったのは、まるみずに通っているからだなあと感謝する次第である。

製本基礎講座もあと三回、頑張ろう!

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さりはま書房徒然日誌2025年8月26日(火)

丸山健二『千日の瑠璃 終結7』より六月一日「私は時間だ」を読む

「時間」が語る人間の時間との関わり方。
過去、現在、未来……と人間にとって都合のいい関わり方を切り取って語っているように思える。

人間の勝手さを分析してみせるところに、冷静な視点を残して語る散文ならではの特徴を感じる。

ともかく私を忘れて
   できれば自己自身さえも忘れてしまうことにあるようで、

ところが実際には
   それとは逆の方向へ進んでしまっており、

ために
   過ぎ去った私の幻なんぞに
      いつまでも心を寄せたがり、

あるいは
   まだ訪れぬ私の影に
      怯えきっていて、

今現在の一瞬を
   疎かに扱いつづける。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』37ページ)

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さりはま書房徒然日誌2025年8月25日(月)

丸山健二『千日の瑠璃 終結7』より五月二十九日「私は勇気だ」を読む

こんな凄い風なら、幼児がさらわれそうになっても不思議ではない気がしてくる。

さながら回り舞台のごとく暗転したまほろ町を
   それはもう荒々しくよぎるつむじ風のなかにあって
      稚い幼児を庇う
         盲目の少女が発揮する勇気だ


(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』22ページ)

すごい風に立ち向かうのは、盲目の少女、その白い飼い犬、世一という組み合わせも微笑ましくも、清々しい。

「勇気」の存在に気がついた少女の変化……「はたと」「数秒後に」という言葉が、少女の劇的変化を強調している気がする。

するとそのとき
   盲目の少女は
      はたと私に気づき、

その数秒後に
   誰かに頼って生きてゆくしかない
      常に何者かに守られて生きてゆくしかない
         そんな身の上であるという
            残念な立場から
               すっと離れられた。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』23ページ)

以下引用文。盲目の少女が勇気を出して幼子を風から守って得たもの。そうなのかもしれない。

助けてもらう喜びよりも
   助けてやる喜びのほうが
      はるかに大きいことを
         つくづく思い知ったのだ。


(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』24ページ)

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さりはま書房徒然日誌2025年8月24日(日)

丸山健二『千日の瑠璃 終結7』より五月二十八日「私は香水だ」を読む

まほろ町にやってきた「人相や背格好や浅ましい根性はそっくり」と書かれた女二人のつけている香水が語る。

その女たちの正体は……。

まほろ町のような田舎をリゾートにして儲けようと企んだ輩や、香水の強い香りが跋扈していた時代なのだなあと思いつつ読む。

全国制覇の壮図を抱く
   そんな野蛮な大企業の尖兵であるふたりは
      日没と同時に
         闇の色の高級車を駆ってまほろ町を訪れ、


(五月二十八日「私は香水だ」18ページ)

土地買収を目論む大企業が狙いをつける対象……というのは、いつの時代もそう変わっていないのかもしれない。

彼女たちが最初に狙いをつけるのは
   要らないと言った声の下から手を出すような
      あまりに露骨な連中か、

さもなければ
   食べてゆくだけが関の山といった
      貧しさに疲れきった者に限られ、

そうした戸別の微細な情報を漏らす
   役場の職員もまた
      この私に手玉に取られており、

要するに
   単純にして愚かな
      田舎者の典型だ。


(五月二十八日「私は香水だ」20ページ)

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さりはま書房徒然日誌2025年8月21日(木)

製本基礎講座44回 『星の王子さま』丸背の改装本完成

手製本とは、目に見えない箇所を丁寧に時間をかけて作業することで出来上がるもの……と思いながら、今日も作業。

表紙の裏に見返しを貼る前に、段差をなくすため紙をはめ込む。ご覧の通り、かなり凸凹のある革の際をカッターで切る。

まだ凸凹があるけど、カッターで出っ張りをカットしたので少しマシになる。

見返しを貼る前に、革部分との段差を埋める厚めの紙を貼る。そして本文と合体。
アミアミに見えるのは寒冷紗、茶色は筒状のクータ。どちらも背を丈夫にするためのもの。
緑は見返し。本文と合体後、この見返し部分は表紙にはめ込んだ紙にくっつける。

背にタイトルを入れていく。まずは固定。

まるみず組がハンダゴテの会社に特注したマルミズペンでタイトルを書く。結構熱くなる。丸背に文字入れするのはペンが滑りやすく難しかった。

『星の王子さま』改装本の完成!

このあと、次回作るスリップケースの下準備。黙々と手術用メスで革をそぐ。
そぎが足りない箇所は、先生がそいでくださる。優しい。

作っている私にすれば、どの本も手間暇かかっているから、この本がいいとか思ったりせず、「あー、どの本も大変」と可愛いのだけど。

この革装にマーブリングの紙をはめ込む装丁は、編集歴の長い編集者さんからも感心されてしまった。
大量に生産流通している本にはない魅力が、革の質感、マーブリングの面白さにはあるのだろうか?

革はメスが怖いからパスかなあと思っていたけど、やはり自分でもトライしてみようという気になりつつある。

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さりはま書房徒然日誌2025年8月17日

丸山健二『千日の瑠璃 終決7』より五月二十七日「私は軟風だ」を読む

以下引用文。どこにでもありそうな風景を吹き抜けてゆく軟風。

実に奇妙で
   とても滑稽で
      いささか残酷な
         しかし世間的にはありふれている
            そんな事件が継起しているまほろ町を
               声ひとつ立てずに吹き抜けてゆく


(丸山健二『千日の瑠璃 終決7』14ページ)

以下引用文。ただ、こういう考えをほのめかしてくれる書き手は、あまり多くないかもしれない。コースアウトしても気が楽になる文ではないか。

さらには
   利益集団に組みこまれるための
      ただそれだけのための教育を熱心に受ける学生たちに
         そうではない道もちゃんと在ることをほのめかし

(丸山健二『千日の瑠璃 終決7』16ページ)

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