丸山健二『千日の瑠璃 終結7』より七月二十九日「私はダリアだ」を読む
旅館の女将と長身痩躯の青年はダリアを眺める……
ダリアには可哀想だが、人工的なところのある花にふさわしい描写。
そんな作り物めいた花を見つめている男女の関係、行く末を暗示するような文である。
「男と女がダリアを見ていた」の一文で終わりそうな文に、これだけ含みを持たせ、この後も続いていく。
映画なら一瞬の場面が、言葉を使う表現でかくも広く、深くなるのかと思った次第。
転作を余儀なくされた農家の苦肉の策から生じた私は
結局のところ出荷されぬまま
周囲を暗くさせるほどの明るさでもって
徒に浮き立ち、
しかも
せせらぎの音と野鳥たちの声を
幸福もどきの色で染めあげる。
そんな私を見ている両人には
ひよっとすると
ただそうやって生きているだけでも間違いではないという
まばゆい印象の暗示を与えやり、
のみならず
存外いい組み合わせのかれらのあいだを
上手く取り持つ役まで果たそうとしている。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』266ページ)