丸山健二『千日の瑠璃 終結7』より八月十七日「私は虫唾だ」を読む
「鋭い眼光でもって世間のあちこちをねめつけながら 僅かな揉め事でもけっして見逃さない そんなやくざ者に走る虫唾」が語る。
やくざ者が虫唾を走らせる様々な人間。
その中には、丸山先生と思われる人間も入っている。
果たしてどこの誰が読むのか見当もつかぬ
小難しい一物を物するために
この世に向かっていちいちいちゃもんをつけ
厭世と楽観の狭間を
その日その時の気分に従って縫い
かくも相応しい環境と条件の下で
せっせと書きつづける小説家だ。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結7』345ページ)
小説家の書くという営みを「この世に向かっていちいちいちゃもんをつけ 厭世と楽観の狭間を その日その時の気分に従って縫い」と表現。
たしかにそうだなあとも、面白い表現だなあとも思う。
一方で、それゆえ小説は世間の有り様が違ってくると、価値観や目のつけどころの面白さがずれてきて、いち早く忘れ去られてしまうのかも……とも思った。