丸山健二『千日の瑠璃 終結5』より十一月十九日「私は耳だ」を読む
十一月十九日は「私は耳だ」と、世一の友達である盲目の少女を支える鋭い耳が語る。
「耳」はリゾート開発計画に浮かれ騒ぐ人々の声をとらえ、その喧騒とは対照的な世一がたてる物音もとらえる。
以下引用文。
少女の耳がとらえる世一の気配は、どこか妖精じみた存在で、開発だの金儲けとは無縁である。そしてどこか温かさがあり、痛みを共感してくれる存在である。
こうした在り方こそ、丸山先生が人間に求めるものなのではないだろうか?
この私が聞きたいのは
その手の音声ではなく、
見掛けはともあれ
優しい心根の少年世一のゆったりとした足音であり
彼が没我の境に入ったときに吹き鳴らす口笛であり、
不規則でも好ましい息遣いであり
体内を経巡る血液やリンパ液の音であり、
ときとしてきしきしと軋む
胸の痛みの音である。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結5』61ページ)