丸山健二『千日の瑠璃 終結5』より十一月三十日「私は視力だ」を読む
十一月三十日が「私は視力だ」と始まる。
以下引用文を読んでいると、「見えないものを見 見なくていいものを見てしまう」世一が神秘的にも思えてくる。
また「憂わしい表情の顔を丘の上の家の窓から突き出すとき」という文に、思い描いていた世一とは違う、どこか絵画の中にいる少年に思えてくる……のは「憂わしい」という言葉のせいか、それとも「窓から突き出す」という動作のせいなのだろうか……?
私は視力だ、
見えないものを見
見なくていいものを見てしまう
ただ生きるだけでも大儀な
少年世一に具わった視力だ。
そんな彼が
憂わしい表情の顔を丘の上の家の窓から突き出すとき
私はしばしば
遥か彼方をたどたどしい足取りで独り行く
もう一人の自分の憐れ深い姿を捉え、
(丸山健二『千日の瑠璃 終結5』102ページ)