さりはま書房徒然日誌2025年1月25日(土)

中原中也「秋岸清涼居士」を読む

昨夜、NHK青山の福島泰樹先生の中原中也講座で教えて頂いた詩の一編。
三年前に亡くなった弟を歌いつつ、生まれたばかりの愛児が二年後に亡くなることを予見しているのでは……という福島先生の言葉も、くだけた会話調のリズムが所々響く詩も、最後にエジプト遺跡まで出てくるイメージの飛躍も、心に残る。

福島先生は今月30日、31日とラジオ深夜便で中原中也を語るそう。久しぶりにラジオを聴こう。

中原中也「秋岸清涼居士」

消えていったのは、
あれはあやめの花ぢゃろか?
いいえいいえ、消えていつたは、
あれはなんとかいふ花の紫の莟(つぼ)みであつたぢゃろ
冬の来る夜に、省線の
遠音とともに消えていつたは
あれはなんとかいう花の紫の莟みであつたじやろ

とある侘(わ)びしい踏切のほとり
草は生え、すすきは伸びて
その中に、
焼木杭(やけぼっくい)がありました

その木杭に、その木杭にですね、
月は光を灑(そそ)ぎました

木杭は、胡麻塩頭の塩辛声(しよつかれごゑ)の、
武家の末裔(はて)でもありませうか?
それとも汚ないソフトかぶつた
老ルンペンででもありませうか

風は繁みをさやがせもせず、
冥府(あのよ)の温風(ぬるかぜ)さながらに
繁みの前を素通りしました

繁みの葉ッパの一枚々々
伺ふやうな目付して、
こっそり私を瞶(みつ)めてゐました

月は半月(はんかけ) 鋭く光り
でも何時(いつ)もより
可なり低きにあるやうでした

虫は草葉の下で鳴き、
草葉くぐつて私に聞こえ、
それから月へと昇るのでした

ほのぼのと、煙草吹かして懐(ふところ)で、
手を暖(あつた)めてまるでもう
此処(ここ)が自分の家(うち)のやう
すつかりと落付きはらひ路の上(へ)に
ヒラヒラと舞う小妖女(フヱアリー)に
だまされもせず小妖女(フヱアリー)を、
見て見ぬ振りでゐましたが
やがてして、ガツクリとばかり
口開(あ)いて背(うし)ろに倒れた
頸(うなじ) きれいなその男
秋岸清凉居士といひ――僕の弟、
月の夜とても闇夜ぢやとても
今は此の世に亡い男

今夜侘びしい踏切のほとり
腑抜(ふぬけ)さながら彳(た)つてるは
月下の僕か弟か
おおかた僕には違いないけど
死んで行つたは、
――あれはあやめの花ぢやろか
いいえいいえ消えて行つたは、
あれはなんとかいふ花の紫の莟ぢやろ
冬の来る夜に、省線の
遠音とともに消えていつたは
あれはなんとかいふ花の紫の莟か知れず
あれは果されなかつた憧憬に窒息しをつた弟の
弟の魂かも知れず
はた君が果されぬ憧憬であるかも知れず
草々も蟲の音も焼木杭も月もレールも、
いつの日か手の掌(ひら)で揉んだ紫の朝顔の花の様に
揉み合はされて悉皆(しつかい)くちゃくちゃにならうやもはかられず
今し月下に憩(やす)らえる秋岸清凉居士ばかり
歴然として一基の墓石
石の稜(りょう) 劃然(かくぜん)として
世紀も眠る此(こ)の夜(よ)さ一と夜
――蟲が鳴くとははて面妖(めんよう)な
エヂプト遺蹟(いせき)もかくまでならずと
首を捻(ひね)つてみたが何
ブラリブラリと歩き出したが
どつちにしたつておんなしことでい
さてあらたまって申上まするが
今は三年の昔の秋まで在世
その秋死んだ弟が私の弟で
今ぢや秋岸清凉居士と申しやす、ヘイ。

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