丸山健二『千日の瑠璃 終結5』より十二月十五日「私は鉄橋だ」を読む
十二月十五日は「私は鉄橋だ」と、「そんな彼の胸裏をときどき稲妻のごとくよぎる 古くて長い」鉄橋が語る。
丸山先生を思わせる作家の胸に行き来する後悔が語られている。海に憧れて進学した学校。その夢の挫折。そんな思いが実家に帰省する長距離列車のガタンゴトンという音と共に蘇る。
以下引用文。大町で静かに庭づくりをされている丸山先生の胸のうちにも、こんな思いがあるのだろうか……。生きるとは悔いを伴うものなのか。
彼が雨や雪の晩によく見る夢のなかにしばしば登場して
がたんごとんという郷愁の音を響かせながら
「本当にそれでいいのか?」と迫り
「海はどうした?」と詰め寄って
私は彼の心を大いにかき乱した。
そして
ペンの動きが止まった際には
三百六十度の水平線を連想させてやり<
激しく求めて止まぬ自由は
そこにしか存在しないことを改めて知らしめ、
のみならず
気障りにしかならぬ
毒の言葉をずらりと並べ、
現在置かれている境遇を
全否定してやった。
(丸山健二『千日の瑠璃 終結5』164ページ)